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[オピニオン]オープンマインドで外国人を迎えてほしい

[オピニオン]オープンマインドで外国人を迎えてほしい

Posted September. 03, 2002 21:36,   

한국어

ブランドン・カー・オーロラ法律事務所弁護士

韓国にとって、世界の人々に自らのありのままの素顔を見せる機会が2度あった。その最初の機会は88年のソウル五輪で、2番目は先日成功裏に終わったサッカーW杯だった。私を含む外国人の目から見た韓国と韓国人の姿は、最初と2番目では大きく違っていて、かなり対照的だった。

ソウル五輪での韓国は、国粋主義に近い、持ち前の民族主義を披露した。ボクシング種目では、韓国選手に金メダルを持たせたいがために不自然な場面が演出され、これは外国人によからぬ印象を与えるのに十分だった。外国人は韓国の民族主義を、他人とともに共存することを知らない閉鎖的民族主義として、否定的な評価を下した。

おそらく長い間、門戸を閉ざしてきた韓国の歴史から、その由縁を見出せそうな気がする。韓国人は、外国人を容易に受け入れることができない。近代の歴史の中で、韓国人が出会った外国人は、たいがい征服者かそれとも侵略者だったからだ。こうした国民感情をもとにした閉鎖的な社会の中で暮らしている外国人は、常に異邦人に留まるだけで、韓国社会の中に溶け込むのは困難だった。

このような否定的なイメージを一気に変えたのがW杯だった。W杯の期間中に出会った外国人は、韓国人が非常に親切であるうえに、外国人を包容することもできる人たちだと評価した。

「デーハンミングッ(大韓民国)」を連呼する人波の中で、肌色の違う外国人を見つけるのは、さほど難しいことではなかった。応援の波の中で韓国人と外国人は一つに溶け込むことができた。韓国を訪れた外国人は、みなあの興奮に満ちた瞬間を記憶している。W杯を観戦した後、アジアの他の国に旅立ったアメリカ人の友人は、ダイナミックな応援、そして応援が終わった後、周りの掃除をする、成熟した市民社会を持つ韓国で過ごした日々が、早くも懐かしくなると話している。

W杯はまた、韓国人に自信感を植え付けた。異邦人の私は、韓国人が自らに対する自信感に欠けたような姿をたびたび発見することができた。今では変わったものの、かつて外国人が土地を所有したり、会社の持ち株の取得に参加することを禁じる政策などを通じて、外国人と敵対的かつ排他的に接してきたのも、正に自信感の欠如と関連しているのではないかという疑問を抱いたものだ。韓国の精神と文化、アイデンティティーが、いかなる外圧にも屈しないとする確固たる自信感がないために、外国人が韓国社会の中に入ってくることを拒んでいたのではないだろうかと考えた。

ところが、W杯での韓国人の態度は、皆を驚かせた。韓国人は、かつてのように縮こまった低い姿勢で外国人を迎えるのではなく、開かれた心と包み込むような姿勢で、外国人を同等な立場で受け入れた。韓国人のこうした意識の変化が持続することで、他の人種、他の文化を受け入れる包容性が養われるとすれば、韓国は世界の中の大国として成長して行けると確信している。

ブランドン・カー弁護士は、1969年米国のミズーリ州セントルイスに生まれ、メリーランド州立大学で行政学を専攻した後、ワシントン州立大学のロースクールを卒業した。10年前に来韓、現在ソウルのオーロラ法律事務所の弁護士として活躍しており、妻と二人の娘と暮らしている。