メゾソプラノの白南玉氏(55・慶煕大音楽学部教授)が29日午後5時からソウル湖巖(ホアム)アートホールでソロコンサートを開く。1999年、音盤「追憶」の発表を記念して独唱会を開いてから3年ぶりだ。彼女はインタビューで終始「もうすぐ60歳になるんだけど…」という言葉をしきりに口にしたが、鳥のさえずるような声と優雅な容姿は若いころと変わりがない。
「この歳でも歌がうまくできるんです。ちょっと自惚れすぎかしら?(笑い)もちろん、以前のような声ではないけど、少しも疲れないのです。いつも感謝の気持ちでいるからだと思いますね」
彼女の全盛期は華やかだった。69年、ソウル大学音楽学部在学中にソロコンサートを開いており、ベルリン国立音楽大に留学していた1973〜76年には 、交響楽団のソリストに抜てきされてフランス巡回演奏を行うなど、欧州の舞台でも名をはせた。79年には32歳で慶煕大教授に任用された。
「人々は私のことを、何の苦労も知らずに裕福に暮らしてきただろうと思っているんです。だけど、私にもいろんな試練がありました。そういうことが結局、私を歌わせたのだと思います」
彼女は、幼いころに両親が離婚し、30歳ころに母親が亡くなった。80年代初めには酷い病気(病名は公表をはばかった)に冒されたこともある。
「父は離婚後、私に何もしてくれませんでした。徹底してソッポを向いていたし、それがあまりにも憎かったのです。ところが2年前のことかな。10年ぶりに訪ねにいく途中、ふと自分の声を聞いてくれていたのも父ではないか、ということに気づいたのです。すべてが執着なのです。執着を投げ捨てれば解脱を迎えられるじゃないですか。父を憎んでいたのも、つまるところは執着だったのだと思います」
華やかだった過去に対する未練はないだろうか。彼女はさまざまなオペラ舞台に立った経験があるが、家庭と音楽活動を両立させるのが困難になり、39歳でオペラを片付けた。
「家の中がひどくめちゃくちゃになるものだから、夫に離婚されるのではと思いましたよ。(笑い)欲張らなかったお陰で、長く歌うことができたと思います。人間って、いったん上ってしまうと降りてこれないんです。世界的な声楽家になっていたら、よほどごう慢な人間になっていたはずです。いつも感謝の気持ちで生きていきたいですね」
彼女は、舞台ではいつも韓服(ハンボク)を着て、髪を後頭部で束ねる。「韓服が良く似合うからですか」と聞くと「違います。われわれの伝統の服だからです」という答えが返ってきた。
今回の独唱会にはシューベルトの「岩の上の牧童」、ブラームスの「君の青い目」「5月の夜」「サソリ」、マーラーの「美しきを愛したい」「私の歌を見ないで」などドイツ歌曲だけを歌う。
「ショパンは演奏旅行に出るとき、祖国のポーランドの土をビンにいっぱい詰めて、いつも持ち歩いていたと言われますね。私は韓国人だし、韓服を着るのは当たり前です。韓服を着てドイツ歌曲を歌うと…。すばらしいではないですか」
silent@donga.com