1991年大邱で、当時、小学3〜6年の少年5人が、近くの山にカエルを捕りに行くと言い残したまま行方不明になったいわゆる「カエル少年」事件で、大邱(テグ)の達西(タルソ)警察署は、30日、少年たちが銃器の誤認射撃で殺害されたという情報と、少年らが行方不明になった時、遺骨が発見された場所近くの軍部隊の射撃場に弾頭などを拾いにいったという情報を確保、事実であるかどうかを調査している。
警察は、住民の韓(ハン)某氏(43、無職、 大邱達西区月岩洞)が、先月28日に捜査本部を訪ね「もとの大邱達西区役所付近で靴みがきをしていた7月中旬、30歳くらいのお客さんが軍に服役していたとき、少年らを殺害したという話をしたことがある」と話している。
韓氏によると、この男の人は「軍に服役していた当時、突然現れた5人の子どものうち2人が誤射撃の銃弾に撃たれた。1人は死亡し、もう1人はけがをしたが、その事実を隠ぺいするため、5人の子どもをみんな他のところに連れ出した後、首をしめて銃で射殺した」と話したという。
警察は、問題の発言をした男の人相着衣と具体的な対話内容などを詰めている。
これとともに警察は少年らが行方不明になった当時、 臥龍(ワリョン)山にある陸軍某部隊の射撃場(遺骨が発見された地点から250mの距離)に弾頭などを拾いにいったことを目撃したという証言を確保、射撃場が少年らの死亡と関連があるかどうかを調べている。
亡くなった朴燦印(パク・チャンイン)君の友達である金某君(19)は「カエル少年らと軍部隊の射撃場周辺に弾頭を拾うため、よく遊びに行っていた。行方が分からなくなった当日も一緒に射撃場に行く途中、射撃場近くの池付近で「足が痛い」と言って、わたし一人が家に帰った」と話している。
また、李某氏(22)は「カエル少年らとあまり親しいほうではなかったが、不明当日の午前10時ごろ、少年らが射撃場に遊びに行くと言って、山に登るのを見た」と話している。
警察は、少年らの遺骨が見つかったところから5m離れたところに、最近まであった墓が改葬され、周りに枝打ちをした跡が見つかり、墓を移転した住民と改葬の時期、改葬の途中でカエル少年らの遺骨が発見されなかったかどうかなどを調べている。