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セパクタクローで男女メダル 600日の地獄訓練が奇跡産む

セパクタクローで男女メダル 600日の地獄訓練が奇跡産む

Posted October. 01, 2002 23:17,   

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「ここ2年間、私生活を完全にあきらめていたことに対する貴重な見返りを得ることができて、本当に嬉しいです」

アジア大会初のセパクタクローで、韓国が男女並んでメダルを獲得した1日、釜山(プサン)の東西(トンソ)大学体育館はそれこそお祭り雰囲気だった。選手たちはもちろん、観客席で気をもみながら観戦していた両親とセパクタクロー協会関係者たちは、サークル種目で女子チームの銅メダルに続き、男子チームが金メダルを確定した瞬間、皆が互いを抱きしめながら涙をとめることができなかった。

男子が宗主国のタイをくだしたのは、奇跡のようなものだった。しかし不毛地に等しい国内で今回の栄光のためにセパクタクロー人たちが傾けた努力には想像を絶するものがあった。

この日、男子チームが金メダルを獲得したサークル種目が、韓国に初めて導入されたのはわずか13年前の1989年のことだ。銅メダルの女子は、これよりもさらに遅れた96年に国内に初めてチームが登場したくらいだ。

だが、国民の無関心でセパクタクローは、なかなか根を下ろすことができなかった。国際大会での成績も東南アジア勢の威勢に押されて下位グループを抜け出れなかった。

ともすると存在基盤さえ失われかねない危機的状況に追い詰められたセパクタクロー人たちは、国際大会で好成績を挙げることによって裾野を広げることが不可欠だと判断し、2000年末から釜山アジア大会を目指して「600日作戦」を樹立した。おりしも協会長に就任した李英雄(イ・ヨンウン)会長(聖火通信会長)の全幅的な支援も大きな力になった。

協会が樹立した「600日作戦」の骨組みは、男女代表チームを早期に発足させ、600日間の合宿訓練を通じて競技力を東南アジアのレベルに引き上げることだった。この計画に沿って2000年末に選抜された男女24人の代表選手は、私生活を完全にあきらめたまま、空いている体育館を探して全国を回りながら地獄の訓練を甘受しなければならなかった。600日を一日も欠かさず明け方から夕方まで、一日4回の8時間訓練を消化するのは基本だった。

今年3月と8月には、タイとシンガポールでそれぞれ2週間、転地訓練も行った。月700万ウォンに達する訓練経費の半分は、体育会の補助を受けたが、残りは全額を協会が負担した。

皆の意志が結集すると実力は毎日見違えるように伸びていった。男子チームは昨年、タイで開かれたギングスカップで銀メダルを獲得したのに続き、今年5月のアジア大会のプレ大会で1位に立ち早くも金メダルを予約した。

また、国内の全体登録選手が60人余りしかない劣悪な環境のなかで「金メダルよりも貴重な」銅メダルを獲得した女子チームも、一気に世界トップレベルの東南アジア水準に迫る成果を上げた。

国内のセパクタクロー第1世代に当たる男子代表コーチのチョン・ジェヒョン(マン・ギョンゴ監督)は、「セパクタクローは、足の使い方に優れている韓国人に大変適したスポーツだ。さらなる支援と関心さえあれば、近い将来に世界のトップクラスと肩を並べることができるだろう」と話した。



金尙浩 hyangsan@donga.com