Go to contents

中国女子ホッケーのヒディンク、金チャンべク監督

中国女子ホッケーのヒディンク、金チャンべク監督

Posted October. 09, 2002 23:04,   

한국어

選手は彼を「悪魔」と呼ぶ。よほど怖かったんだろう。夜明けから真夜中まで続く一日8時間の厳しい訓練が8ヵ月以上続き、監督がまるで悪魔のように見えたという。

中国女子ホッケーチームの金チャンべク監督(46)。1999年に韓国女子代表チームの監督になったが、わずか3ヵ月で成績の不振を理由に更迭される痛みを経験した。

2000年1月に中国に渡って中国チームの指揮を取ることになった金監督は、わずか2年で中国の女子ホッケーを世界トップに導き、傷つけられた自尊心を取り戻した。

金監督が「中国女子ホッケーのヒディンク」と言われるまでには、多くの困難があった。中国ホッケー協会は彼の能力を疑い、月給を3分の2しか支給せず、残りはチームがシドニー五輪の予選を通過すれば支給することにしたという。しかし、チームを初めて五輪の舞台に導き、5位の好成績まで上げたことから、やっと指導力を認められた。

先月は世界の6強だけが出場するチャンピオンズトロフィー大会で、中国史上初の優勝を果たした。最近、バレーボール、バスケットボールなどの球技種目が不調である中国は、世界の1位に浮上した女子ホッケーに対する人気が高まっている。中国CCTVは、金監督のストーリーを描いた特別番組を放送した。

金監督の成功の秘訣は何だろう。選手選抜の全権を委任された彼は、広東省と吉林省出身で構成されていた代表チームを解散させ、地縁を排除して実力中心のチームを構成した。スパルタ式の訓練とともに、一日24時間を選手と一緒に過ごすなど、細心の管理を行った。今年、北京の家で寝たのはたった3日だけだった。訓練の時は厳しいが、宿所ではやさしい父のように選手の誕生日や家のことに気をつかい、選手の引退後は進路を決めてくれることで、選手と心を開いた付き合いもできた。

今年末に契約期間が終了する金監督は、中国ホッケー協会から、2008年の北京オリンピックはもちろんのこと、終身監督をしてほしいという提案まで受けた。

アジア大会が自分の故郷釜山で行われ、感慨深いという金監督は「韓国人として、どこででも、自分に与えられた役割をきちんと果たさなければならないという姿勢で頑張っている」と話した。



金鍾錫 kjs0123@donga.com