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日本の無名の会社員がノーベル化学賞受賞 島津製作所の田中耕一さん

日本の無名の会社員がノーベル化学賞受賞 島津製作所の田中耕一さん

Posted October. 10, 2002 22:37,   

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「えっ、私がノーベル賞を?」

京都の精密機器製作会社の島津製作所の分析計測事業部で研究員として勤める田中耕一さん(43)は、9日午後6時15分ころ、突然の一本の国際電話に驚いた。帰宅の準備であわただしい同僚たちも気に掛けず、いつものように研究に没頭していたのだが、スウェーデンの王立科学院関係者がノーベル化学賞の共同受賞者に決まったと知らせてきたのだ。

間もなく会社に押し掛けた記者たちとの会見でも、彼は「作業服で申し訳ない。大学教授でもない自分がノーベル賞を受けるとは信じられない」と話し照れくさい表情だった。

歴代のノーベル化学賞受賞者のなかで博士号を持っていない人は彼が初めて。彼は東北大学電気工学科出身の学士だ。しかも化学分野は入社してから手がけ始めた。

無名の会社員のノーベル化学賞受賞が決まると、日本の化学学界は戸惑う表情だ。しかし、多くの日本人は乳房がん、前立腺がんなどを早期に診断できるたんぱく質分析法を開発した彼の業績を、ノーベル賞選考委員たちが学閥や「看板」よりも重視したとした「さすがノーベル賞だ」と口をそろえた。

研究に没頭して髪を洗うことさえ面倒がり、坊主頭にしたことから「変わり者」「勉強虫」と呼ばれた彼のノーベル賞受賞には偶然も働いた。

レーザーを利用してたんぱく質の内容を分析するとき、試料の状態のままでレーザーを当てるとイオン化し、試料が散らばってしまう。このため添加物質が必要だったが、当初、彼はグリセリンか、またはコバルトを添加物質で使って実験を続けた。そうしていたある日、失敗してコバルトの上にグリセリンを落としてしまったが、ふと「混合して実験してみよう」という気になった。「コロンブスの卵」のような逆の発想で進めた新しい実験の結果は、大成功だった。

彼の名前は、彼が開発した分析法をドイツのある化学者が、自身の論文で引用したことから知らされるようになった。

彼は83年4月に島津製作所に入社し、主に遺伝子とたんぱく質の分析装置を開発する仕事に携わってきた。京都に本社を置いている島津製作所は、1875年に学校の実習用化学機材を作る会社として出発し、今は計測機器、医療機器、航空・産業用機器を製作し、関連技術を開発する世界屈指の総合精密機器を製作している。



hanscho@donga.com