北アイルランドの「平和作り」が再び深刻なこう着状態に陥った。15日午前0時(韓国時間15日午前8時)から北アイルランドの自治政府と議会の機能が無期限で停止となった。このため英国による直接統治が再開された。
98年に締結された北アイルランドの和平協定を受け、英国は北アイルランドの自治政府と議会に自治権を委譲した。しかし、旧教派と新教派間の絶え間ない反目とかっとうによって、今回を含め、これまで合わせて4回にわたって自治政府の機能が停止していた。
今回の機能停止によって、自治政府は平和協定締結の後、最悪の危機に直面したと観測筋は語った。一部のマスコミは英国による直接統治が1年以上続くだろうと報道した。
これに先立って、英国政府はアンジェラ・スミス、イアン・ピアソンなど、与党労働党所属の下院議員2人をベルファストにある英国北アイルランド相に任命し、直接統治の準備に取り掛かった。
今回の機能停止は旧教派の準軍事組織のアイルランド共和軍(IRA)の政治組織、シンフェイン党の幹部らが自治政府内の職位を利用して、自治政府と議会庁舎のストモント内でスパイ活動をしたことに伴う措置。
激怒した新教派側は英国にシンフェイン党所属の閣僚2人を自治政府内から追放することを求めた。新教派のデイビッド・トリンブル自治政府の首席相は8日、英国のブレア首相に会って、英国政府が1週間内にシンフェイン党を自治政府が追い出さないと、所属党でもあり多数党のアルスター連合党を自治政府から撤収させると脅かしていた。
ブレア首相は、北アイルランドの自治政府がコントロール不能の状態に陥ることを恐れ、旧教派を代弁するアイルランドのバーティー・アハーン首相と話し合ったすえ、自治政府の機能停止を決めた。
▲北アイルランド紛争の歴史〓北アイルランド紛争の歴史は、1170年英国軍がアイルランド北部の「アルスター」地方を侵略したのが発端となった。1541年、英国国王はアイルランドの国王を兼任していて、17世紀英国は旧教徒地域のアイルランド北部に新教徒を集中的に移住させた。続いて1801年には結局アイルランドを英国に合併させた。
アイルランドの旧教徒は20世紀に入って、IRAを創設し、英国と戦争を繰り広げた結果、独立を勝ち取った。しかし、英国は新教徒集中居住地区の北アイルランドの6つの州を独立から除外した。この時から北アイルランド内の旧教徒と新教徒の「血の闘争」に火が付き、69年から最近に至るまで、テロによる双方の犠牲者だけで3600万人に達する。
96年6月から北アイルランド内の8つの政派は、紛争終結に向けた平和協定締結のための交渉を開始し、98年4月、歴史的な北アイルランド和平協定にこぎつけた。
朴濟均 phark@donga.com