どうしてわが国では最も美しい女性なのに、国際美人大会に出場すれば、そのたびに泣かせられるのだろうか。この問題で頭を抱えていたナイジェリアの美人大会組織委員長が2000年の審査委員に注文と付けた。
地域的な美人ではなく、国際的な美の基準に合う女性を選んでほしいと。この新たな戦略は即刻成功を収めた。2001年ミスナイジェリアが、その年の10月、51年の大会歴史上初のアフリカ出身ミスワールドに選ばれたのだ。ところで、今度はまた新しい問題が浮き彫りになった。この「やせっぽち」のミスワールドがうらやましいと、この国の数多くの若い女性が、国を挙げてのダイエットに乗り出したのだ。その時まで、ナイジェリアでやせているというのは、エイズ患者のしるしに他ならなかった。
◆インドで暮らしているチベット難民が史上初めて、ミスチベットを選出した。高いとは言えない鼻に太い顔のライン、ほがらかな性格がそのまま現われる典型的なチベット美人だ。本来、チベットの女性は足首を覆うスカートに長袖の上着を着なければならない。チベットでは寒いために、ほとんどお風呂に入れないため、水着を着るというのは想像もできない。ところで、ドルマ・チェリンという名のこのお嬢さんは水着姿の審査を受け、普段着姿の審査ではきわどいタンクトップまで着こなした。「大会は若者、とくに女性を支援するために活用されなければならない」としっかり自分の意見を述べたというから、ブローバル化した感覚と女性意識まで兼ね備えた若い世代のようだ。
◆美人大会というのが、女性の美を商品化するという批判はここでも例外ではなかった。伝統と文化を汚すという指摘も出て、ダライラマ亡命政府のサムドン・リンポチェ首相も物質主義的な行事だと批判した。中国からの独立と自由を念願しているチベット人の闘争心を後退させるという非難から霧散の危機に立たされた時もあった。しかし商業主義の力に劣らず、美についての関心と追求も人間の永遠の課題なのだ。「チベット独立闘争に関する関心を呼び起こすために開かれる」という主催側のアピール通り、行事は強行された。外信を通じてこのニュースが入ったおかげで、われわれもチベットの現実について、一度ぐらいは考えさせられた。これぐらいになると、ミスチベットも美しい独立軍だ。
◆ミスチベットが、チベットの代表として世界大会に出場して、良い成績を挙げられるかどうかはまだ分からない。しかし、もしチベット的な美しさが国際的に受け入れられなくても、ナイジェリアのように美人の基準だけは変えないでほしいものだ。世俗的な人生では究極的な幸せを得られないと信じる民族、物質的な快楽なしにも幸せな人生があるというのを見せてくれるチベットでさえ、世界どこでも見られる「西欧的な美人」だけが幅を利かせていたら、息が詰まりそうだ。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com