映画が大衆文化として人気をはくするのは、100分ほどの短い上映時間で、観客に最大の精神的満足感を与えるためだろう。しかし、映画は最近のように「早く早く」が強調される時代には、合わない芸術かもしれない。映画を見るためにしなければならないことが、一つや二つではない。見たい映画の上映時間を調べ、チケットを予約しなければならない。劇場まで行くにも時間がかかる。こんなわずらわしい過程を経て初めて、席に座って映画が鑑賞できるのだ。茶の間でいつでも見れるテレビ番組も、面白くなければ30秒ごとにチャンネルを回すこのご時世、このような「原始的な」映画が観客をひきつける理由は何なのか。
◆それは「没頭の楽しさ」のためではなかろうか。真っ暗な劇場に座って、映画の世界にひたっていると、世の中のうれいからしばらくの間開放される。演劇、ミュージカル、美術鑑賞のような文化活動も同様に人々を「没頭」させるが、費用や強度の面から、やはり映画に勝るものはない。さらに若者は、劇場に行く「過程」そのものを楽しむ。そのため、映画は逆説的な意味で「夢と希望の芸術」と呼ばれたりもする。しかし、制作やマーケティングの面からみれば、映画は徹底的な資本主義の論理で武装されている。弱肉強食の殺ばつとした生存競争である。映画の中の愛と友情の「素晴らしい新世界」とはほど遠い。
◆国産映画一本に数十億ウォンの制作費が投入され、興行に失敗すればおしまいという認識が広まっているため、仕方のないことかもしれない。韓国映画が上昇の勢いをおう歌し「大ヒット神話」が夢ではなく現実となったことは、望ましいことだ。能力のある監督や俳優が、正当な待遇を受けるようになったことを意味するからだ。映画一本で大金をもうけたという興行神話は、今年も続いている。韓国映画は、米国のハリウッド映画の勢いに苦戦を強いられている他の国の映画界から「成功研究」の対象となっている。
◆映画「友へ〜チング」で800万人の観客を動員した監督郭暻澤(クァク・ギョンテク)氏と俳優劉五性(ユ・オソン)氏の告訴事件が、ちまたの話題を集めている。「コンビ」と呼ばれるほど近い仲だった彼らが、かっ藤関係になったのは、何か言えない事情があるのかも知れないが、どうやらカネの問題のようである。しかし意気投合して「友へ〜チング」神話を誕生させた彼らが相手を非難する姿は、映画「チング」を心に留めているファンには理解できないことである。映画の中の世界と現実は、全く異なるということを見せつけるつもりだろうか。絶好調の韓国映画に悪い影響を与えはしないか心配である。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com