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非論理的な言語と行動…李潤澤演出の演劇「授業」

非論理的な言語と行動…李潤澤演出の演劇「授業」

Posted November. 05, 2002 22:48,   

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「単語ひとつ直さないで台本通りに演出することにした」と語る演出家、李潤澤(イ・ユンテク)の約束はそのまま守られた。正確な台詞の伝達は、一つのテキストのようだ。

「劇の展開に伴って学生の動作や、はつらつとしたリズムは次第に消えていき…教授は徐々に攻撃的、支配的になっていく」というユジェーヌ・イオネスコの地の文も忠実に従った。かと言って演劇が戯曲と全く同じになるわけにはいかない。イオネスコの戯曲は、舞台の上で「正確に」新しい演劇に生まれ変わった。

これは「演出家中心」から「俳優中心」にと、演出技法の変化を試みるとした李潤澤氏の約束が誠実に守られた結果でもある。教授役の韓(ハン)ガプス氏は、チャップリンを連想させるうぶな姿で出て、ファシズム的な狂気をはらんだヒットラーに変ぼうしていったし、学生役のリュ・ジン氏は、社交的なお嬢さんとして登場するが、教授の抑圧的な教育で枯れていった。

「教育者の道徳的模範と論理的教育を通じて、被教育者は社会生活に必要な知識と合理的な考え方を身につけるようになる」というのは一つの「理想」だ。だが、現実の教育過程では、既成社会の価値観と偽善的な威圧に抑えられ、創意性を失っては断片的な実用的な知識に埋沒した学生たちが量産されがちだ。

そういう不合理な「現実」を告発することが目的ならば、あえて論理的な言語と動作を選ぶ必要はない。いや、むしろ非論理的な言語と行為を通じて不合理な現実を直接感じるようにした方がより効率的かも知れない。不条理劇の大家、ユジェーヌ・イオネスコが選んだ方法は、まさにそれだった。合理性によって包装されていた現実の「不条理」が赤裸々にさらされるのを見ながら、観客たちは笑いを爆発させては自身の現実を省みる。

実験的な創作劇を手がけてきた李潤澤氏は、昨年の話題作「田舎の文士」以後、世界的な名作を選び劇団「延禧団(ヨンヒダン)ゴリペ」の俳優たちの演技力向上に力を注いできた。

これは、また別の意味で観客たちに見識を広める機会をも提供する。観客たちもそれを求めていたことは、劇場でもそのまま確認できる。

文芸振興院芸術劇場と「ウリ劇研究所」が共同企画した「古典の演劇性を求めて」の最初の作品だったアントン・チェーホフの「三人娘」(尹光鎮演出)が先月上演され盛況だったのに続き、2作品目の「授業」も観客たちから良い反応を得ている。

観客たちは19日に幕が上がる3作品目(李潤澤の「オイディプス」・ソフォクレス原作)も待ちわびている。

10日まで。平日は午後7時半、土日は午後4時と7時半。文芸振興院ハクチョン・ブルー小劇場。02—763—1268。



金炯瓚 khc@donga.com