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[社説]候補の公約がこんなに軽いのならば

[社説]候補の公約がこんなに軽いのならば

Posted December. 13, 2002 22:43,   

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政治指導者の話に信頼がある時だけ、責任政治も可能である。一度公言したことは不利益を甘受してでも守ろうとし、そうではなければ誠実にきちんと責任を取ることが、そんな政治の基本である。しかし、風に飛ばされるような軽い現大統領候補らの言行は、このような期待を持てなくさせる。国民への約束が、一晩寝て起きると一変するのだから、公約という言葉が嘆かわしい。

野党ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の場合、今年初めには、大統領選前の改憲論議は適切ではないと言っていたが、数回の曲折のすえ、任期を短縮してでも、改憲を推進するという方向に変わった。公約集で明らかにした大学の自治と財政自立性の保障と、最近会見で明らかにした授業料凍結公約も相反する。基礎生活保障制に対する立場も多少一貫性に欠ける。

野党国民統合21の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表となんとか協力体制を果たした与党民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補の政策は、「盧武鉉色」を探すことさえ難しくなった。二人の政策合意に対して、両党関係者までも「鄭夢準プログラム」をほとんどそのまま受け入れたと評価するほどだから、完全に「鄭夢準色」に塗りかえたというのが正確だろう。二元的政府制とも別段大差がない分権型大統領制に合意した時から、すでに盧候補の「変色」は予告されていた。

北朝鮮の核疑惑にもかかわらず、現金支援事業を続けるべきであると強く主張していたが、ずるずると後ずさりしたのは、以前の盧候補の姿ではない。これまで財閥改革を叫び、維持の必要性を強調した出資総額制限制度を、段階的に緩和したことで「盧候補の公約に、果たして盧武鉉はいるのか」という疑問まで生じる。相続贈与税賦課と関連して、完全包括主義から類型別包括主義に退いたのも然りである。

これから大統領選挙までの数日の間に、またどれほど多くの公約が「変造」するか分からない。選挙も行なう前にこのように簡単に変わるものなら、政権後の公約が守られることをどうやって期待できるだろうか。そのような公約にだまされて、5年も国を任せるのは、実にむなしく危険なことだ。