40代の人たちは子ども時代、新聞に載った写真で朴正熙(パク・チョンヒ)大統領と陸英修(ユク・ヨンス)女史からの愛を受けている朴志晩(パク・チマン)氏(44)の姿を見ながら、「大統領の息子はどんなに幸せだろうか」と、うらやましさを感じたことがあるだろう。この国を18年間統治した大統領の息子が覚せい剤を使用して、6回も拘束され、6回目に釈放されることになった。姉の朴槿惠(パク・グンへ)氏(野党ハンナラ党議員)も裁判所に対し、弟のことを切実に訴えたという。朴氏が釈放されたとはいえ、麻薬に一度手をつけた人たちの再犯率は高いといわれている。諸葛孔明が孟獲(もうかく)の釈放と捕獲を計7回繰り返したことから由来された「七縦七擒(しちしょうしちきん)」を満たすのではないか、心配である。
◆朴氏は、「忘れられた人になりたい」といって、マスコミに露出されることを極力拒んでいるため、彼の言葉や考えは知人を通じて聞くしかない。彼はよく知人に対し、「偉い父親を持った馬鹿な息子は思ったよりはるかに辛い」といったりするという。彼のことを、「人間の朴志晩」としてよりは、「朴大統領の息子」としてしか思ってくれない世間の見方が負担になるという意味である。彼は父親の治績と関連して、「人々は、父親の業績に同意しないもだろうけど、父親が私心なく国のために努めようとしたことだけは確かだった」と評価し、父親が行ったことの中に、納得できないことは「長髪取締り」だと言ったそうだ。
◆彼は自分のことを父親と関連付けて見ようとする見方を負担に思ったが、そんな苦しみの中で彼が事業家になるまでには、朴元大統領から面倒を見てもらった人たちの助力があった。彼は浦項(ポハン)製鉄から出荷されている酸化鉄板を再加工して、コンピューターの素材を作る企業を経営している。コスダックに登録されている堅実な会社である。拘束と釈放が繰り返されている中でも彼がどん底に陥らないのには、ポスコの朴泰俊(パク・テジュン)名誉会長と金宇中(キム・ウジュン)前大宇グループ会長の手助けが大きかった。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領も支援してくれたとされている。
◆朴元大統領の死去は、時代に一線を画す歴史的事件であるとともに、人間の朴志晩には絶えがたい苦しみであった。母親は北朝鮮から命令を受けた凶漢が撃った銃弾で息を引き取り、父親は宴会の場で部下に殺された。一方最近、結婚したい女性と数人出会ったが、女性側の親からの反対で家庭を作ることに失敗すると、心を痛めたという。彼の知り合いによると、麻薬中毒は深刻な程度ではなく、「私生活と関連した好み」のために麻薬に手をつけたといわれている。とにかく、朴氏が今度はリハビリに成功して、父親に従っていた人たちの胸を痛めることはなければと思う。
黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com