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[オピニオン]車の教訓

Posted January. 10, 2003 22:33,   

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『熱河日記』は、朝鮮時代(1392〜1910)の実学者、朴趾源(パク・チウォン)が中国の清に派遣された朝鮮使臣一行に同行し、清を見物して書いた紀行文だ。朴趾源は同著で、中国で見た文物について触れながら、朝鮮も性理学のような観念的な学問はやめて、庶民の生活に役立つ実用的な学問をすべきだと主張した。その代表的な例として挙げたのが車だった。車を使わなければ、決して国は富強にならない、だから一日でも早く車を大量に生産して全国に普及させるべきだ、というのが朴趾源の主張だった。

◆『熱河日記』の一節を紹介しよう。「国で使う物で、車より優れたものはない。その種類も戎車、水車、砲車など山ほどあり、ここで全部あげることはできない。しかし、乗り物に使われる車と荷物を載せる車は庶民にとって一番大事なものであるから、早急に研究しなければならない」。朴趾源は、車が多くなると、道も自然ときれいに整備され交通が便利になり、地域の生産物が短い時間で各地に流通する。だから、これ以上のものはないと語った。車の必要性を強調するために例に挙げた「漁民はエビやイワシを畑のたい肥に使っているが、漢陽(当時の首都)では一握り一文もするとは何事か」という説明は面白い。

◆実際に車は文明の発達史を語るうえで欠かせない存在だ。最初の原始的な車が変化を繰り返し、人力車、馬車、自転車、自動車、汽車、電車へと発展を遂げた。このような交通手段の発達が、縦糸と横糸の組み合わせのような複雑な道路網を作ったといっても過言でない。こうしてみると、車を使うことで道が整備されるという朴趾源の主張は、先を見越した立派で実用的な「政策提案」であったわけだ。

◆しかし、車は単なる交通手段としてだけの意味しかないわけではない。車の原理に時代や人生の哲学が秘められているのだ。車輪は両方がまったく同じでないと回らない。片方が傾くとバランスを失って倒れてしまう。そして車はモノをいっぱい載せないと、きしんでうるさい。「空の車の方がうるさい(中身のない人間ほど知ったかぶりをして騒ぐ)」という韓国のことわざもここからきている。今、韓国の国民が切に求めているのは、保守であれ、革新であれ、老人であれ、若い世代であれ、二つの車輪がバランスを取る必要があるということだ。また、新政権の担当勢力が「空の車」のように口先だけうまいことを言うのではなく、中身がしっかりしていて静かながらも頼もしい政権になることを韓国の国民は期待している。光州市新昌洞(クァンジュシ・シンチャンドン)の鉄器時代の遺跡で紀元前1世紀のものと思われる車の部品が出土した。改めて「車の教訓」を考えさせられた。

宋煐彦(ソン・ヨンオン)論説委員 youngeon@donga.com