政権が代るたびの常として、またもや財閥改革問題が取り上げられた。出資総額の制限、グループ構造調整本部の解散、金融会社の分社化、集団訴訟制度の強行など、恐ろしい剣幕の改革案が飛び交っている。マスコミは、政権引き継ぎ委員会の委員たちがほのめかす言葉から新政権の財閥政策を類推し、意味を持たせては先を争って報道しており、ついに全経連(全国経済人連合会)は、トップ会議を繰り上げて開催することにした。財閥企業の心穏やかでない心境を読み取れるような気がする。
◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)次期大統領は、財閥と大企業とは明らかに違うと釘を刺している。大企業が自力で成長して行くことには問題がないが、特定の家系が経営権を世襲してまで巨大な企業集団を率いることは改革の対象に値するという意味だ。財閥のオーナー自らが保有する持ち株は2%足らずであるにもかかわらず、系列会社の相互出資を通じてばく大な経営権を行使しているのが気にくわないというのである。それだからこそ、国の経営を任されている立場として、どうして財閥のトップ個人が担うリスクの程度と、その人が握っている権力の規模の間に存在する不釣合いを打ち破りたいと思わずにいられるだろうか。
◆一般的に、現代における企業の理想的な形として、1932年にアードルフ・バーリとガーディナ・ミーンズが著述した「現代企業と私有財産」の中で示したとおり、株式の所有形態が広範囲に分散して特定の人に集中せず、専門の経営者によって自主的に営まれる、専門の大企業を連想することになる。こうした「現代的」企業像は、ここ数十年間、先進諸国において経営者革命を導いており、盧次期大統領陣営の財閥改革論者たちも、これをわが国の企業における理想的な将来像として描いているようだ。財閥の肩を持つつもりはないが、問題は、先進国ですら所有と経営が分離した専門の大企業が、それほど幅広く存在していないという事実にある。
◆米国ハーバード大学のラ・ポルタ教授らが、世界の先進27カ国の上位20位社の所有支配構造を調べて研究した結果(1999)によると、所有権が広範囲に分散している企業は、全体サンプルの3分の1をわずかに上回るだけで、家族や国が支配権を握っている形態が依然として主流を成しているという。その一例としてスウェーデンの場合、上場企業の62%が驚くことに家族所有の企業で、最大財閥のバレンベリー一族は、議決権やピラミッド型の所有構造を利用して、証券市場の時価総額の40%に及ぶ14社の有力な上場企業を系列化している。それでもストックホルムの証券市場では外国人投資が盛んだというから、いったいいわゆる「前近代的」な企業と市場が共存する理由はどこにあるのだろうか。
李賛根(イ・チャングン)客員論説委員(仁川大学教授)ckl1022@incheon.ac.kr
文明豪(ムン・ミョンホ)論説委員 munmh97@donga.com