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[オピニオン]軍事境界線(MDL)

Posted January. 28, 2003 22:42,   

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韓国と北朝鮮の間に設定された軍事境界線(Military Demarcation Line)は、南北から2kmずつ計4kmに広がる非武装地帯の中心にある。長さ248km(155マイル)に及ぶこのラインが、韓半島を分断する、本当の意味での境界線になるわけだが、厳格に言うと、実際にラインが引かれているわけではない。停戦協定によると、軍事境界線は、第0001号で始まる臨津江(イムジンガン)沿いから東海岸まで、総計1292枚の表示板でつながっている「点のつながり」にすぎない。ところが、この表示板のうち相当数が、過去50年間、管理の不行き届きや洪水で流失したうえ、地形も変わった。軍事境界線は、われわれが想像するように、鉄条網ではっきり区分されているのではなく、歳月とともに動いているのだ。

◆現在の軍事境界線と非武装地帯は、1953年7月27日に調印された停戦協定の産物だ。停戦協定を結ぶ際、共産側は38度線を、国連軍は当時戦闘が行われていたコンタクトライン(Line of Contact)を、それぞれ軍事境界線にするよう、主張した。結局、非武装地帯を、南北から38.4km(24マイル)ずつにするよう主張していた国連軍が共産側に譲歩し、2kmずつに幅を縮めた一方、共産側は国連軍が提案したコンタクトラインを受け入れることで、合意した。しかし、停戦協定が調印されてから発効されるまで、わずか10時間の間にも、双方は火力を総動員して交戦した。軍事境界線を少しでも自分たちから遠くするためだった。

◆歳月とともに、非武装地帯を往来する人々の顔ぶれも変わっていった。南北の対立が激化していた60年代は、金新朝(キム・シンジョ)など北朝鮮の武装ゲリラが、非武装地帯を越えて韓国に侵入したり、抑留されたプエブロ号の乗務員が軍事境界線を渡って自由を取り戻したりした。60、70年代は、韓国に漂流した北朝鮮の漁夫が軍事境界線を越えて北朝鮮の区域に入ると、韓国人からもらった服を脱ぎ、お土産を捨てた。密入国した故文益煥(ムン・イクファン)牧師や林秀卿(イム・スギョン)氏らが、板門店を通って帰還したのも、当時としてはショッキングな事件だった。

◆27日、南北の軍事当局が、非武装地帯を越えて南北を結ぶ臨時道路開通に必要な合意書に署名した。これで、京義(キョンウィ)線・東海(トンヘ)線の連結や開城(ケソン)工業団地の着工、金剛山の陸路観光といった南北の懸案を推進するうえで、最初のハードルがクリアされたわけだ。しかし、これは文字どおり、第一歩にすぎない。南北の住民が軍事境界線を自由に往来できる日が、早く来ないといけない。そうなるためには、何よりも、北朝鮮の核問題から筋道立てて解決していくべきだ。片方には武器を持ち、もう片方で握手をしていては、信頼を積むことはできないからだ。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com