「今すぐにでも私の前に現われて、皆明るく笑うようなのに…」
どうしてもがらんとした寮に1人きりでいることはできなかった。わずか数日前まで一緒に笑い転びながら騒いでいた部屋には、今、冷ややかな空気だけが漂っている。
大邱(デグ)カトリック大テニス部の主将、ソン・ドゥス氏(21・体育教育科3年生)。大邱地下鉄放火惨事で、彼はチームの同僚4人を一度に失う痛みを味わった。5人の選手のうち、故キム・ジョンソク氏(21・3年生)、故ソ・ドンミン氏(21・1年生)、故キム・テクス氏(18・入学予定)、故パン・ミンフィ氏(18・入学予定)が、みな被害に遭ったのだ。
事故が起こった18日。ソン・ドゥス氏は、他の同僚たちより1時間早く、宿所である慶北慶山市河陽邑(キョンブク・キョンサンシ・ハヤンウプ)にある学校の寮を1人で出た。新学期の受講申請をするため、地下鉄に乗って早めに訓練場所である大邱教大に行ったのだ。普段の訓練開始時刻は午前10時。インターネット・カフェに寄って受講申請をした彼は、午前9時50分頃、今度の事故で犠牲になった故ソ・ドンミン氏から電話を受けた。「もうすぐ中央路(チュンアンノ)駅を通る。すぐ行くからちょっとだけ待ってて」。この短い通話が最後になるとは…。
訓練時間が過ぎ、いくら待っても同僚たちは現れなかった。4人にいちいち携帯電話をかけたが、誰とも連絡が取れなかった。そして、しばらくして、地下鉄事故の知らせを聞いた。
「何も言葉が出ません。実感もできないし、信じたくもありません」。
ソン・ドゥス氏にとって、この世を去った4人がみな大事な存在だった。去年の夏季大学連盟戦で息を合わせて複式優勝をした故キム・ジョンソク氏とは、新春になれば一緒に教生実習に出る予定で、胸をときめかせていた。後輩だが入学が遅れて同い年で、ガール・フレンドの自慢をよくしていた故ソ・ドンミン氏、今年、高校を卒業した新入生で、優しくて先輩によくなついていた故キム・テクス氏と故パン・ミンフィ氏。全員が同じ屋根の下で暮らしながら、血を分けた兄弟のように親しくしていた。
「先月、久しぶりに世の中が真っ白になるほど、雪が降ったことがありました。みな喜んで校庭に走って行って、写真を撮ったり雪合戦をしたりしたのに・・・」。
ソン・ドゥス氏は、事故の後、同僚たちの死体でも捜すため、大邱市内の病院や状況室が設置された大邱市民会館などをさ迷っている。「昨日、寮に戻りましたが、すぐまた出てしまいました。皆ネックレスをしていたけど、遺品でも見つけられたらいいのに…」。
1人で生き残ったソン・ドゥス氏は、「同僚たちのご両親にお目にかかりましたが、とても申し訳ありませんでした。私に『お前だけでも生きていて良かった』とおっしゃいましたが、それを聞くと涙が止まらなくて…」と言い、話を続けることができなかった。
金鍾錫 kjs0123@donga.com