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[オピニオン]絶望と希望

Posted March. 02, 2003 22:53,   

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テリー・フォックスはガンで足を切断したが落胆せずに、ガン研究基金10万ドルの募金のために「希望のマラソン」を始めた。義足をつけて走る彼の姿は国民を感動させ、2410万ドルの基金を集めた。ジョージ・シュレッターは小児麻痺、伝染性単球増加症、肺炎に爆発事故でやけどまで負ったが、試練を乗り越えるたびにもっと強くなって、コメディ・ショーの制作者としてエイミー賞特別賞まで受賞した。トード・ヒューストンは事故で片足を失ったが、大学を優秀な成績で卒業し、「手足切断者リハビリセンター」の医療責任者となり、米国50州の最高峰登板に挑戦して正常な人の最高記録を35日も短縮した。4才の時に足が麻痺したウィルマ・ルドルフは、汗血の滲む努力で13才にびっこを引きながらも走りはじめ、とうとうオリンピックで3つの金メダルを勝ち取った。

◆逆境を乗り越えて成功した人の話を聞いていると、果たして人間の限界はどこまでなのか、と考えさせられる。程度の差こそあれ、人々は誰もが生きている間に様々な逆境にぶつかる。今この瞬間にも数多くの人々が様々な試練をぶつかって悩んだり、人生をあきらめていることだろう。入学試験に失敗して挫折した学生、働き場や財産を失って失意に陥っている人、不義の事故や病魔に苦しんでいる人もいる。だれもがぶつかる大小の試練のうち、成功したり挫折する人の差はたった一つだ。それは状況や環境ではなく、自分の心の中にある。

◆たとえ小さな困難でも絶望する人は決して乗り越えることはできないし、いくら大きな試練でも希望の綱を放さない人は結局勝利する。人々を躊躇させるのは逆境ではなく、絶望だ。数年前江原道(カンウォンド)に大きな山火事で全てが真っ黒に灰と化した様子は絶望的に見えた。だが、翌年の春になると焼けすすの石の隙間から、焼け残った木の切り株から希望の新芽がにょきにょきと首を出した。どんな絶望の瞬間にも希望の芽は隠れているのだ。

◆大邱(テグ)地下鉄放火事件の惨事は多くの人々に絶望を抱かせた。安全対策はともかく、あれほど大火災が起きたその時に、事件の縮小、隠ぺいにあたふたした関連者を見ると憤りを感じる。大やけどで病床に横たわっている人や愛する人を亡くした遺家族の気持ちはいかほどだろう。だが、ヘレン・ケラーは「試練と苦痛を通じて、強い魂が誕生する」と語った。この絶望の瞬間にも、大きな試練を乗り越えて、それだけにドラマチックな人間勝利のドラマが生まれることを希望する。

鞖圭漢(ベ・ギュハン)客員論説委員(国民大学教授) khbae@kookmin.ac.kr