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「ドライな生活」を暖かく抱いてくれる母性

「ドライな生活」を暖かく抱いてくれる母性

Posted March. 07, 2003 22:55,   

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「鐘の音」という題目はまず耳に響き渡る。申京淑(シン・ギョンスク・40)の小説では寂しい静寂とともに、少しずつ空気とまじ入り、結局は自らの姿が完全に消え去る鐘の音の奥深さが調和を成す。

この小説集でも、申京淑(シン・ギョンスク)は、悲しさと断絶した関係、孤独を、特有のゆったりとした静的な空間の中で精密に描いている。世の中に向かって開閉を繰り返す空間で、現代を生きるわたしたちのドライでつまらない日常の内面を明らかにする。

3回目の流産をしたある女性、自分を「廃墟」として認識する女性は、夫の彷徨と拒食症が理解できない。ある日、洗面所の窓際に見知らぬ鳥一羽が家を作る。

一時、飛翔する鳥を夢見たかもしれない夫。都市生活に疲れきって夫は痩せこけている。「彼が死に物狂いで打ったのが何だと思う?」「何だったの?」「寂幕」

病床に寝ている夫のそばで女性は夢の中で空を飛ぶ鳥の群れを見かける。その中に夫が混じっているような気もする。「あなたは今帰ってきた鳥のようだ」と、女性は羽を広げて彼を抱く。(鐘の音)

皮膚管理室で働く「彼女」は母親から捨てられた覚えを持っている。耐え切れないつらい記憶のため、夜ごとに火をつける「彼女」。「彼女」に「喫茶店の店員」がやってくる。喫茶店の真ん中に大型水族館を置いてわにを育てる「喫茶店の店員」は病気になって死んでいく。

この2人の媒介は彼らにそれぞれ異なる象徴になる「わに」だ。「彼女」にとってわには「乱暴」であり、このような暴力性が自分を不安定にする建物の警備員に投射される。娘を捨てなければならなかった「喫茶店の店員」に母性を持つわには神聖な「寺院」だ。(水の中にある寺院)

「水の中の寺院」をはじめ、「井戸を覗き込む」「つきの水」には、水のイメージが充満している。冷え切った水は作家の「小説を書くことは結局、母の心の一番近いところに行くこと」という告白と合流し、歪んでドライな生活の多様な模様を母のように抱いている。

同じオフィステルに暮らすだけで、お互いのことをよく知らない男女が、1月1日、浮石(プソク)寺に向かって出かける。2つの浮石の間が浮いているというところ。

結婚すると信じ込んでいたPが、突然他の女性と婚約し、結婚してしまった。そのPが思いもよらず花かごと誕生日カードを贈った。午後にオフィステルに来るという。けがをしたミミズクのドキュメンタリーを撮った男性は、人間的に信頼していた朴PDの計略で、作品を操作したとうわさされる。彼はそのうわさの震源が朴PDだということを偶然に知る。 朴PDが午後に一緒にお酒を飲もうと誘った。

それぞれPと朴PDを避けて浮石寺に向かって離れるが、どこがどこだかわからない狭い山道で泥沼に陥ってしまう車。一瞬停止する空間で、男性と女性は「パラミ」という犬を通じ、緩んではいるものの、人間的な関係の絆を経験することになる。 (浮石寺)

作家は「つまらないことがかえって輝いたので、わたしは小説を書くことに魅了させられた。今回の創作集には夭折した同僚作家チェ・ヨンジュのことを描いた「一人で去っていた人」を含め、00年以降発表した6編の小説を一緒にまとめた。



趙梨榮 lycho@donga.com