イラク軍の基本戦略は「分散、長期化、市街戦」に要約される。
開戦初期の猛爆に息を殺していたイラク軍は、南部バスラ近隣のアンナシリアに抵抗線を張る。主要都市ごとに民間人の服装をしたイラク兵が、市内に進入する米英軍を相手に、半ゲリラ戦形態の市街戦を繰り広げる。同時にイラクのミサイルとロケットも米地上軍を苦しめる。
イラク軍兵力の規模は、第1次湾岸戦争の時に比べて半分にもならないが、6万人の共和国守備隊、そのなかには1万5000人余りの特殊共和国軍と狙撃隊が含まれており、約5000人で構成された特殊保安機構の要員は、最精鋭と評価されている。
空襲被害を減らすために、事前に分散された共和国守備隊の兵力は、バグダッドから80km離れた所とバグダッド近郊の2つの防衛線(マジノ線)に集結する。ここは、すでに砲弾と補給品が十分に備蓄されており、要塞化された状態だ。
マジノ線が崩れても、数万人のイラク精鋭軍はバグダッド市内に後退し、市内の各地で流血市街戦が繰り広げられる。突然飛んでくる市民の銃撃も、米軍に打撃を与える。爆撃による「人間の盾」などで民間人の犠牲者は増え続ける。戦争が6週間を経過し、バグダッドでは食糧と飲料水の不足で、民間人が悽絶な苦痛を経験し、反戦世論はより激しくなる。
そこに、「生死」の岐路に立ったフセイン大統領の直接命令によるか、もしくは通信が途絶えた状態にある一線の指揮部の決定によるかして、生物化学兵器が使用される。油田や産油施設では、イラク軍によると推定される大規模な火災が相次いで発生する。
フセイン大統領の行方もはっきりしない。「最後の聖戦」を訴える声は聞こえるが、すでにバグダッドから離れ、故郷のティクリートの地下壕か安全施設に潜伏したという情報が伝わる。米国内では、戦争の長期化による経済被害への憂慮が急激に高まる。日増しに蒸し暑くなり、国防総省内でも「このままでは戦争が3カ月になるか、3年になるか五里霧中」といったため息が流れる。
李基洪 sechepa@donga.com