00年の第16回総選挙をひかえて国会議員の定数を299人から273人と26人も減らしたのは、高費用・低効率の国会の生産性に対する批判の声が多かったためだ。「これといった仕事もなしに国庫を減らしてばかりいる金バッジが多すぎる」という国民の冷たい視線を意識したものだった。通貨危機以来、韓国社会の各分野では緊縮を強いられているのに、政界は何をしているんだ、という圧力に議員もどうしようもなかったのだ。
だが、その後、政界が何をよくして、経済がどれほど回復したのかと聞きたいほど、3年しか経っていない議員数を290人に増やすという議論が首をもたげている。それも国会政治改革特別委員会選挙法小委でこうした話が出てくるというのだから、一層理解に苦しむ。これについては与野党とも大きな異見がないというのだから、政界とは自分の利害がかかっていれば一つ穴のナントやらになるらしい。
議員定数を増やそうとする口実も我田引水もいいところだ。現行の国会議員選挙区の人口偏差が選挙権の平等に害する、という憲法裁判所の決定にしたがって、選挙区の調整が必要だという論理だ。だが、これは議員数を増やす理由にはなりえない。反対に議員数を減らしても調整が可能だからだ。いま政界に対する国民の不満や厳しい経済状況を考慮すれば、むしろそうすべきかも知れない。
政治改革は結局、政界の構造調整だ。議員数が20人ほど増えると選挙資金、歳費、後援金などの基本費用だけでも4年間でおよそ1000億ウォン台近くの追加投入が推算されるだけに、これは言うまでもなく政治改革に逆行する。
やるべき政治改革は棚上げし、見苦しいお家騒動で明け暮れしていながら、自分の分け前を増やそうととんでもない駆け引きばかりする政治家らの振る舞いに、開いた口が塞がらない。そんな政界に政治改革を任せるのはやはり無理なことだったのか、猫にカツオブシの番を任せるのと同じなのではないかと思う。議員定数の拡大が国民の抵抗を呼び起こすのは目に見えている。