イラク戦争が第2ラウンドにさしかかった。戦闘が終結するや否や、戦後復興事業の受注に向けた世界各国の競争が始まり、戦場での戦いに劣らぬ激しい戦いが繰り広げられている。戦争に敗れたイラクの苦しみはそっちのけにしたまま、右肩上がりに伸びる株価と暴落する石油価格に浮かれて、戦後の特需ブームに便乗しようとする強大国の小賢しい態度が憎いばかりだ。もっとも、同盟国の米国を支援し、敗戦国イラクを助けるという立派な名分を掲げて、医療および工兵部隊を派兵する我々も「復興事業への参入に役立つはずだ」と期待を掛けているとあっては、他の諸国の利権争いを非難するのもきまりが悪い。
◆米国の世界的なゼネコンのべクテル社が真っ先に快哉を叫んだ。発電、送電、そして上下水道の改補修など、3460万ドルの事業権を獲得したほか、今後6億8000万ドルまで事業規模が拡大する見込みだという。「棚から落ちてきたぼた餅」とも訳される、米国版思いがけない授かりものといったウィンド・フォール(windfall)を手に入れたのである。イラクの復興には、最高2000億ドルの資金を要すると予想されている。とすれば、第2、第3の「棚ぼた」が続くということになる。べクテル社は、1991年の湾岸戦争終了後も、クウェートの油田復興事業を受注している。米軍の装甲車が通ったあとを、べクテル社のブルドーザーがついていき、復興事業の契約を結んでいるのかもしれない。
◆イラクの人々は青天のへきれきに呆然と立ち尽くし、米国の企業は万歳三唱ときている。まさに敗者と勝者の姿である。企業は好き勝手に儲けの種を探せるだろうが、イラク国民は戦争という不意の災難から逃れることは難しい。東南アジアに吹き荒れているSARSも、ひどい災難に違いない。香港のある女性は、SARSに感染しているにもかかわらず、お腹の中の胎児を救うために治療を拒み、終に命を落とした。帝王切開で生まれた赤ん坊は、SARSのせいで母親のいない人生を生きて行かなければならない。中国の胡錦涛国家主席が昨日、遅れ馳せながら「SARSとの戦争」を宣布し、保健当局に隠ぺいを中止するよう指示したにもかかわらず、SARSの恐怖は容易に収まりそうにない。
◆我々の生活の中にまで入り込んだ「棚ぼた」もある。毎週1回ずつ出されるロト(ROTTO)くじの「棚ぼた」シリーズが、ついに300億ウォンの富豪を誕生させた。思いがけない幸運に恵まれた警官の男は、賞金を受取った後、家族とともに行方を暗ました。果たして不幸とは縁のないくらい幸せなのか、それとも慣れ親しんできた全てのものと別れを告げなければならないくらい不安な状態なのか、気になる。地球上のどこで発生しようとも、他人の幸不幸まで瞬時に分かるのが、グローバル化時代の暮らしのような気がする。とすれば、もっけの幸いを追い求める生活が正しいのか、それとも不意の災難が降りかからないことを願う生活が正しいのか、それが問題なのだ。
方炯南(バン・ヒョンナム)論説委員 hnbhang@donga.com