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[オピニオン]SARSの社会学

Posted May. 06, 2003 23:04,   

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16世紀初め、メキシコのアステカ文明がどうして一瞬にして滅亡したのかについて学説はまちまちである。数百万を数えるアステカ族がスペインのコルテスが率いる高々600余りの軍隊にひざまずいたのだから。最近説得力を得ているのが、伝染病論である。征服者が銃刀とともに天然痘をもたらしたのだ。スペイン軍は問題ないが、原住民たちは手の施しようもなく死んでいき、心理的な衝撃は大変なものであった。スペイン軍には兔疫があることを知る由もないアステカ族は、彼らを神の使者と信じ、太陽神を捨ててしまった。歴史学者ウィリアム・マクニールは「細菌が文明の滅亡をもたらし得る」と「疫病と人間」で言っていたように。

◆しかし神は一方の扉を閉め一方の扉を開ける。中国の新型肺炎SARS(重症急性呼吸器症候群)も、86年のロシアのチェルノブイリ原発事故のように、うまくいけば改革と開放を呼ぶ触媒になり得ることを示唆する。ゴルバチョフがチェルノブイリを機会として、グラスノスチとペレストロイカに拍車をかけたように、中国の胡錦濤もこれをきっかけに政治改革に乗り出す構えである。党幹部を解雇し、マスコミに対して政治集会よりも国民の関心事をより多く報道するように求めたのも一例である。

◆21世紀初めの世界的伝染病に記録されたSARSほど、世界化の明暗を克明に表わしたものはない。自由な海外旅行でSARSも奔放に世界の国境を越えることができた。世界保健機関(WHO)は、55年の歴史上初めて旅行自制勧告を下すなど、全世界的なモニターシステムを強調し、国連の安全保障理事会も阻止が困難な「細菌戦」を阻止したという評価を受けている。

しかしこのような世界化のおかげで、新たな「疾病のアパルトヘイト(人種分離政策)」が生じているのはどうしたものか。世界の中華料理の食堂は商売があがったりで、国境の境界が厳重になり、患者ではない人々も互いに接触を避ける閉鎖恐怖に苦しんでいるのだ。

◆実状が明らかになれば、SARSは恐ろしい伝染病ではないかもしれない。昨年11月初旬に発病して以来、SARSによる死者は全世界に約400人ほど。米国でインフルエンザで死亡する人は毎年2万〜3万人で、アフリカでマラリアで死亡する子どもが30秒に1人であるのに比べれば、よりそうである。英国では階段から落ちて死ぬ人が毎年1500人余りだから、SARSの咳よりも恐ろしいのが階段である。英国の社会心理学者ピーター・マーシー博士は「人間は不確実でよく分からないことを恐ろしく思う傾向がある」と言った。陰謀論がそれらしく聞こえるのも、その空白を埋めてくれるからである。我々が恐れるものはSARSではなく、恐怖それ自体かもしれない。

金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com