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[社説]改革は国家経営からだ

Posted May. 07, 2003 22:34,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が貨物業者連帯ストライキに関連して、関係省庁の長官を厳しく責めたのは遅まきながらしかるべきことだった。「この国の長官はこんなやり方でよいと思うのか」と、「公務員が仕事をさぼっているのではないか」という二言は、むしろ目をそらしたいありのままの現実を物語っているようだ。少し前に盧大統領が告白した「『国民の政府』が経験したさまざまな試行錯誤の繰り返しに対する不安感」が具体的に表ざたになった例と言えよう。

実のところ、「文民政府」と「国民の政府」も始終改革を叫んだのに、参加政府がいまだに改革を訴えているのは、この10年間の改革が未完であったか、失敗したことを意味する。少なくとも、国民が改革の成果を実感できずにいるということであろう。多くの要因があるだろうが、中でも2つだけ挙げるとすると、国政優先順位の混線と、名分と現実のかい離が挙げられる。長官たちが状況判断もろくにできないまま遅れて騒ぎ立てたことは前者に当たり、公務員を「遊ばせた」のは後者に当たる。

優先順位の混線は、国政の混乱と不正をもたらす。なによりも最大懸案の経済問題に対する現政権の関心が相対的に薄いという批判が多い。今年上半期の主要企業の就業競争率が平均83倍という記録的な倍率を示しているのは、確かな警告だ。北朝鮮の核問題や教育現場での葛藤に対する政府の曖昧、かつ生ぬるい対応も国民を不安にさせているという指摘が少なくない。

名分と現実のかい離は改革を漂流させる。改革を率先すべき政治権が、新党論議、党権競争に明け暮れている状況で、改革への参加を訴えるのは空しい響きになるしかない。さらに、一線の公務員さえ自発的に乗り出さない改革なら、国民の間で根ざすのは簡単でないだろう。

改革が必要だということについて異議を唱える人は誰もいない。しかし、国家経営に失敗して改革に成功することは不可能である。成功的な国家経営が、まさに改革の十分条件になるわけだ。今現在、社会的現象として現れている改革の無秩序と副作用の結果から正すのが、参加政府の改革の出発点にならなければならない。