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[オピニオン]「尺度と好み」

Posted May. 08, 2003 22:23,   

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大統領の意思を代弁する大統領府報道官の役割を、朝鮮王朝では承旨(スンジ)という官職が担当していた。その頃は「代弁」と言わずに「王命出納」と呼んでいた。王朝時代の王様の御言葉と、民主時代の大統領の言葉には大差があるとは言え、やることの性格はほぼ同じと見ることができる。しかしながら、承旨の威勢は大変なものだった。単に王様の御言葉を下の者に伝えるのではなく、臣下が王様に上申する政事である上疏(サンソ)の上申可否をも決める一方、その内容を要約することもあった。また、王様の諮問に随時応じることもあることから、俗に言えば、実に大した「陰の実力者」だったわけだ。

◆昔の承旨に比べると、この頃の大統領府の報道官は、あまり力がないようだ。先日、参加政府(新政権)初の大統領府報道官を務め、72日目で途中下車した宋敬熙(ソン・キョンヒ)氏は「私はあまりにも政治を知らなすぎた。自分たちの尺度で勝手に切ったり縫ったり、好みに合わせて振り回しているうちに、ここまで来てしまった」と語った。大統領府の報道官とあれば、少なくとも政治動向ぐらいは熟知しておくべきではないか、という意味で、政治を知らなかったというのは、本人の未熟さ故のものだとしておこう。ところが「政治力不足」のせいとあっては、どうも様子がおかしい。報道官に、何故特別な政治力が必要だというのだろうか。さらに「自分たちの尺度」や「好みに合わせて」に至ると、話が全く違ってくるのだ。

◆「自分たち」とは、いったい誰で、その「好み」とは、またどんなものだろう。この頃よく耳にする言葉どおりに言えば「コード」が合わなかったという話のようだが、いったい、その「コード」とはどういうもので、何故それほど合わせるのが難しいというのか、いまいち理解に苦しむ。「何か問題が生じれば、報道官に責任を転嫁する。こんなシステムは受け入れられない」という宋氏の抗弁を聞いていると「コード」よりは「報道官によるブリーフィング」という制度そのものに、もっと大きな問題があったのではないだろうか。とすれば、人を替える前に制度から変えるのが正しい順序だろう。

◆さらに深刻な問題は「尺度と好み」すら把握できない報道官の言葉を、記者たちはそのまま書かざるをえないという点にある。そして、その内容が報道を通して国民に伝えられる。こうなると、国民の知る権利の保障はおろか、権力の言葉と国民の理解との間では、「コード」がますますずれてしまうのではないだろうか。統合ブリーフィング室を政府中央庁舎に設けるか、別館に設けるかが重要なのではない。「自分たちの尺度」と「好みに合わせて」勝手に報道官を揺さぶるようでは、マスコミとの健全な緊張関係というのは、虚構にほかならないだろう。新任の大統領府報道官は、大統領の腹心を誰よりよく知っているというから、氏の口を通して出される「尺度と好み」を、それぞれの判断に委ねるとしよう。

全津雨(チョン・ジンウ)論説委員 youngji@donga.com