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[オピニオン]雑草

Posted May. 09, 2003 22:26,   

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哲学教授から農民に転じた尹九炳(ユン・クビョング)氏は、「雑草はない」と断言する。辞書に載っている雑草の意味は、「耕作地、道路、空き地などで育ち、生活にあまり役立たない草」、または「場所を間違えて生えている草」だ。人に有用な植物なのかどうかで名づけられたため、人間中心的な考え方だというわけだ。「野草手紙」を書いた生態活動家のファン・テクォン氏は、雑草を野草に呼び変えようと提案している。地球上に存在する植物は35万種にのぼるのに、人間が栽培する植物は3000種に過ぎないため、ほとんどの植物を雑草だと無視してしまう過ちを犯していると強調する。

◆雑草は、人間にとって、面倒で煩わしく、甚だしくは弊害をもたらとまで知られているが、実際の效用価値を計算して見ると、「認識の間違い」であることがはっきりと分かる。ある雑草は、長い根を利用して、土の奥深い所の無機質を引き上げて土壌を肥やす。旺盛な繁殖力で短い時間で何も生えていない土地を緑で覆わせて土壌の流失を防ぎ、環境を保護する役割もする。人間がまだ分からないだけで、雑草の中には難病を治療する薬の成分を含んでいる草がいくらでもある。これくらいになると、いくらつまらない植物でも、この世で大事でない草はないと言えよう。

◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の「雑草論」が波紋を広げている。盧大統領は地域感情を利用して私服を肥やす政治家を取り除かれてしかるべき雑草に例えた。雑草がこの話を聞いたら、誰よりもむかつくだろう。人間に無視されるのも悔しいのに、水準の低い政治家と私たちを一緒にするのはとんでもないことだと…。もちろん、盧大統領が言おうとする「雑草」という意味は、環境生態学者が言う雑草とは異なるだろう。国民が幻滅を感じる低質な政治家を指す言葉のはずだ。それにもかかわらず、与野党の議員が反発しているのは、この言葉にほかの政治的な意味が潜んでいるからだ。

◆雑草が見る人によって悪い草にも愛らしい「野草」にもなれるように、問題は、大統領の統治観だ。大統領府が学生運動出身者だけで埋まって、政府政策をめぐって「改革」と「非改革」の線を引くことが増えれば増えるほど、こうした発言は「組み分け」に映りかねない。雑草であるかどうか、改革なのかどうかを区別するのが簡単ならともかく、今は多様性の時代で、不確実性の時代である。農業ひとつとっても、雑草に手を付けない有機農がもっと大きな収益を上げているじゃないか。国が良い方向に向かうことができたら、「雑草との同棲」も考慮すべきだ。その雑草が国に有害でなければの話だが。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com