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「所信でやったことに補償は要らん」 元5.18運動家の洪南淳翁

「所信でやったことに補償は要らん」 元5.18運動家の洪南淳翁

Posted May. 16, 2003 22:27,   

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16日午前、光州市光山区三巨洞(クァンジュシ・クァンサンク・サムゴドン)の光州私立インクァン痴呆専門病院2階の病室。

2日後には5・18民主化運動23周年になるが、この運動の主役であり「光州の義人」と呼ばれる洪南淳(ホン・ナムスン、91)弁護士は、車寄子に身を頼ったままボウとした表情で前だけを見ていた。

01年11月、脳出血で倒れた洪弁護士は、いまも意識が戻っていないため人を全然区別できず、過去の記憶も失っている状態。一生を民主と人権のために生きてきた老闘士の切ない姿だ。こうした境遇の洪弁護士が「5・18補償金」の受領まで拒否したことが知られて、さらなる感動を与えている。

1990年、「光州民主化運動関連者補償などに関する法律」が制定されて以来、00年まで4回にわたって補償が行われ、全国5・18関連者4312人が2283億ウォンの補償金をもらった。しかし、洪氏は一度も政府に対して補償を申し込まなかった。

「家族の間で補償金の話が出ると、『自分の所信に従ってやったことに何の補償が要るというのか』とし、言葉も持ち出せなくしました」。洪弁護士の末息子の栄踖(ヨンウク、42、事業家)さんは、「周りからもう名誉も回復されたから、補償金をもらってもいいじゃないかと言われると、『弁護士をやって十分なのに、お金は何のお金だ』と怒ったりもした」と話した。

「30年以上見守ってきた洪弁護士は、徹底した原則主義者でしたが、無等(ムドゥン)山のように素朴な人間味も持ち合わせている方でした」。1968年から洪弁護士の事務長を勤めている丁広鎭(チョン・クァンジン、63)さんの話だ。

朴正煕(パク・ジョンヒ)政権の維新時代、33件の緊急措置違反事件の弁論を引き受けるなど、1970年代民権活動家として活動してきた洪弁護士は、1980年5月当時、光州で戒厳軍による市民軍鎭圧作戦が秒読みに入ったところで、50人余りの収拾対策委員とともに戒厳軍司令官と談判を行った。

武器回収問題で交渉が物別れに終わると、洪氏は光州の緊迫した状況を知らせるために、尹潽善(ユン・ボソン)元大統領など政治家に会いにソウルに向かう途中、戒厳軍に捕まる。

光州尚武台(サンムデ)軍営倉に入れられた洪氏は69日間監禁されて「学生を陰で操った事実を白状しろ」として、軍の捜査官に厳しい拷問を受けた。

洪氏は、80年10月、陸軍普通軍法会議で内乱重要業務従事罪が問われ、無期懲役を言い渡されたが指揮官の確認過程で15年に減刑された後、81年12月に刑執行停止で釈放された。

集めておいた財産がなく家族は、85年8月復権されて弁護士資格を回復するまで食事を心配するほど貧しい生活を余儀なくされた。

一方、5・18民主化運動第23周年を迎え、18日に光州では政府記念式をはじめ盛りだくさんの追慕記念行事が開かれる。

同日午前11時、光州市の北欧雲亭洞(ブクウンジョンドン)にある国立5・18墓地では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と鄭大哲(チョン・デチョル)民主党代表、康錦実(カン・クムシル)法務部長官、朴光泰(パク・クァンテ)光州市長、遺族を含めた5・18関連団体の会員たち、各界の有識者1000人余りが参加した中で記念式が行われる。



金權 goqud@donga.com shjung@donga.com