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「マトリックス・スシンドローム」 なぜどうして熱狂するのか

「マトリックス・スシンドローム」 なぜどうして熱狂するのか

Posted May. 30, 2003 22:26,   

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私たちはマトリックスの中に住んでいるか / グレンイェペス編、李スヨン、ミン・ビョンジク翻訳 /349ページ、1万2000ウォン、グッドモーニングメディア刊

『マトリックス』(Matrix・人工知能が作った仮想世界)はすでに一本の映画ではなく、今の時代の中央を横切る主な文化現象となった。1作目から4年ぶりにお目見えした続編『マトリックス2:リロ−デッド』は国内で封切られて8日で観客170万人を突破し、もう「見たの、見てないの」の問題ではなく、「何回見たの」を問わなければならないほどに話題を呼んでいる。

99年に封切られた当時、この映画は目覚しい先端映像技術を駆使して観客たちを楽しませる一方、人間が住んでいる世界そのものが仮想で有り得るという「驚くべき」発想で、全世界に衝撃を投げかけた。今までも人々がこの映画に注目する理由は、まさにこの映画が科学技術と人間の本質という現代社会の問題を正面から取り上げているだけではなく、人類がかなり前から悩んでいた問題を集約し出したということにある。事実と認識、現実と仮想、自由と統制、神聖と人間、物質的発展と普遍倫理…。

この本では『マトリックス』の宗主国である米国で哲学者、エコノミスト、英文学者、宗教学者、SF作家、コンピュータープログラマーなど14人の専門家が多様な観点で「マトリックス現象」を分析して、現代社会の問題を診断した。

▲リード・マーシャ・シュシャード(メリーマウント・マンハッタン大学教授、メディア批評) 〓映画『マトリックス』は、表向きはアクション映画だが、人間の意識に関する研究論文だ。マトリックスはまさに私たちの現在の世の中を示す。人類が生態的均衡を破壊するウイルスであることを機械が悟りながら、マトリックスが勃興し始めるという点に注目しなければならない。

▲ライル・ジンダー(インディアナ大学教授、科学・哲学及び人智科学)〓マトリックス中の人々は、マトリックスが提供する感覚データの組み合わせを現実とみている、マトリックスから脱した人々は実在する現実を認識する。映画『マトリックス』 は実在論を従っているわけだ。しかし、観念論によると、人間が認識することは感覚器官で受け入れた情報だけだ。現実が本当に存在するかについては見つけ出す方法がないというのだ。

▲ピーター・ベトキー(ジョージメイスン大学教授、経済学) 〓マトリックスでプログラム化された豊かな生を選ぶか、「現実」の厳しい主体的な生を選ぶかを迫るモフィアスは、ネオに青い錠剤と赤い錠剤を突き出した。これは受け身の安定を保障する体制と個人的自由を保障する体制の間の、選択のようものだ。

▲ビール・ジョイ社長(サン・マイクロシステムス代表兼首席研究員)〓2030年なら、コンピューターは物理学、遺伝学と結びついて、世界を変化させるに値する力を持つようになるだろう。それが機械であれ、遺伝子組み換え生物であれ、二つの結合体であれ、これらが「自己クーロン」能力を持つようになる時、自然は人間の代わりにそれを協力者として選ぶことができる。これはただ何日ぶりに起きうる事だ。もう科学と技術による無制限的な成長を追い求めつつ、それに伴う明白な危険を受け入れるかを根本的に選択しなければならない。

▲ニック・ボストローム(イエール大学教授、科学・哲学及び確率理論)〓もうポストヒューマン(Post−Human・人間以後)社会を準備しなければならない。もし、人類がかろうじて滅亡を免れ、ポストヒューマン時代に到逹することができれば、人間は映画『マトリックス』のように、人間社会全体をシミュレーションして、平和で美しい仮想世界で錯覚の中に生きていくこともできるだろう。ところが、そのシミュレーションを作るポストヒューマンの人類がすでにシミュレーションされた存在であり、そのクリエーターもシミュレーションされた存在かも知れない。

『マトリックス』が我々の現実になるか、あるいはすでに我々の現実かははっきり言えないが、明確なことは、そうした現実は克服されなければならないということだ。この本の筆者たちはそれなりの代案または乗り越える方策を示したが、大部分「マトリックス」を「他者」とみて乗り越えようとする。ところで、マトリックスに対抗する「ネオ」さえも、マトリックスシステムの一部なら、これは最初から失敗した戦いに違いない。しかし、これらの推論がすべて同じところから始まるという点に注目する必要がある。それは結局、人間自分がマトリックスを作るということだ。



金炯瓚 khc@donga.com