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[オピニオン]テレビと幸福

Posted June. 16, 2003 21:56,   

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シャングリラ、「心の太陽と月」という意味の美しい名で呼ばれる理想郷。400年間ラマ教の教理を受け入れて生きてきた純粋な人たち。交通混雑という言葉もなく、国民総生産の代わりに国民総幸福が重視される国。ヒマラヤ山脈の東にある仏教国ブータンは、長い間、このように描写されてきた。ところが、昨年4月、国営貿易会社の幹部が巨額の収賄の疑いで逮捕された。この国で最も古い舎利塔を掘り起こした盗賊が出てくるかと思えば、これまで豚にしか食べさせなかったマリファナに中毒した人々が数百人も逮捕されている。虫一匹殺すことさえ大きな罪としていた国が、なぜ突然これほどまでに変わったのだろうか。

◆「テレビのせいだ」。英紙ガーディアンによると、ブータンの人々は一様にこのように答えたという。世界で唯一テレビを見ることができなかったこの国に46チャンネルのケーブル放送が入ってきたのは、1999年8月。それも大半がメディア財閥マードックのスターテレビが放映する暴力的で扇情的な番組の「爆撃」を受け、殺人、詐欺、麻薬などの犯罪が、爆発的に増えているという。ブータン人の変化はこれにとどまらなかった。女子学生3人に1人は白い肌、黄色い髪の西洋人のようになりたがり、若い女性3人に1人は結婚の代わりにセックスを、両親の35%以上は子供と話をするよりテレビを見ることが好きになった。

◆この国の国王がテレビ視聴を許したのは、国民を幸福にするためにだった。近代化、民主化も重要だが、霊性を重視する国らしく、王は国民にとって最も重要なのは幸福だと考えてきた。国民総幸福をカネで計ることはできないと信じていた国王は、サッカー好きの国民が98年のフランス・ワールドカップの時に運動場に臨時で設置した大型テレビの中継を見て熱狂したのに感動し、テレビを許可することにした。外国テレビの開放に先立って、ブータン放送を設立し、教育的な番組を送るようにしたが、外国放送との競争は不可能だった。

◆テレビと暴力の相関関係に関する研究は数え切れないほど多い。幼い時にテレビの暴力シーンに多く露出されれば、大人になっても攻撃的な性向を持つという研究成果も少なくない。国境を超えた電波の世界化が、西欧とりわけ米国の価値観、生活様式、美的基準で、最も孤立した国までも「汚染」させたのが現実だ。だからと言って、テレビが再び禁止されることを願うブータン人はいないだろう。テレビのない無公害幸福とテレビのある有毒な幸福のうち、少なくとも選択の自由は与えられるべきだからだ。テレビの正しい見方と正しい規制はその次の問題のようだ。

金順鄹(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com