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『可能性の木とその他の話』
ベルナール・ウェルベル著、李セウク翻訳 /304ページ/8800ウォン/ヨルリンチェク
ある日、目の前の壁が消えて、その代わり「壁、厚さ50cm、コンクリート」という字が現れたら? 飛び回っていた鳩が消えて、その代わり「鳩、重さ327g、雄」という字だけが漂っていたら?
私たちはエラーが発生したインターネットのウェブサイトを思い浮べるだろう。恐竜の絵があるべきモニターの画面に×印と「dino.jpg」という文字が表示されるように。
この状況をどう解釈したらいいか? 私たちが真実だと信じてきた世の中は、事実はスーパーコンピューターによるバーチャルリアリティーだったのだろうか? そうであれば、これまで私たちの感覚を操作してきたのは誰だったのだろうか?『蟻』『脳』の作家ウェルベルの短編集『可能性の木とその他の話』は、このように驚異的な幻想、または驚く空想に満ちている。
独身者リックは、目が覚めるとすぐ家電製品に腹を立てる。人工知能を取り揃えた品物が彼を干渉するからだ。食欲がなくても毎朝ナプキンは自動的に首にかけられ、やかんはお茶を注ぐ。ビデオフォンは訪問者を迎えなさいと叫ぶ。
「品物よ、君たちに魂があるか」リックの叫びが彼の息苦しい状況を代弁する。しかし、読者は結局、唖然としてしまう。リックも人工知能を持った「機械」だからだ。(「私には大好きな世の中」)
作家は「人間ではない他の存在の視線を借りて話すことは、人間に対する省察や反省の尽きぬ源だ」と話す。この言葉は18編の短編の主題を貫く。デビュー作『蟻』で、作家は私たちの目が及ばない足もとにも独立した宇宙があることを見せてくれた。時たま登場する人間の手助けは、彼らにとって不可思議あるいは全知全能なものに見える。
1編1編が長編映画の素材になり得る新作で、作家はたびたび『蟻』の想像力を正反対に覆す。人間の世界は人よりもっと優越な存在の観察や笑い物になる。人間は飼育可能なペットとして習性と特徴が記録され(「彼らを愛する方法を習おう」)、文明も幼い神様が「創造」科目の実習過程でもたらした間違いだらけの課題物になる(「幼い神様の学校」)。
「人間を理解するために人間の世界の外に出た」作家は、それがある程度「子供の見方」とも似ていると告白する。しかし、子供の目で眺めたために、人間の世界はむしろ人類文明の未熟性をあらわにする。外から見た人間は「お互いに争って殺すのが好きな存在」であり、彼らの求愛行動の中で最も効果的なのは「財布を脹らますこと」だ。
去年10月にフランスで出刊されたこの本の原書は、発売と同時にベストセラー1位となり、各種の文学賞の受賞作が発表される、いわゆる「コンクールシーズン」を無意味にさせている。韓国でも予約注文だけで各種のインターネット書店のベストセラー1位に上がっている。そうした点でこの本は、「人類の本質に対する熟考」を大衆化したという新しい意味も持つ。
題目『可能性の木とその他の話』は、本に収録された短編『可能性の木』から取ってきた。作家は「労動時間を減らしたら」「ミニスカートが再び流行したら」のような未来の多くの可能性を木の模様に図式化することで、未来をもっと正確に予測することができると話す。
劉潤鐘 gustav@donga.com