Go to contents

[オピニオン]ビートル

Posted July. 09, 2003 21:44,   

한국어

ドイツを世界の最強国にすると大言を吐いて政権を握ったアドルフ・ヒットラーは、国の発展のためには自動車専用の高速道路が必要だと考え「アウトバーン」を建設した。その次には、アウトバーンの上を走る自動車が必要になった。自分の人気管理のためにも、国民が安く買える自動車を造る必要があった。ベンツとポルシェを設計した、当時最高の自動車設計者ポルシェ博士がこの任務を受け持つことになった。当時としては全く新しい概念の自動車「フォルクスワーゲン」(ドイツ語で「国民車」の意味)は、こうして誕生した。ドイツを、戦争と敗北の道に追い込んだヒットラーが、戦後ドイツ復興の手掛かりをもうけていたということは、歴史の皮肉と言わざるをえない。

◆ヒットラーは、ポルシェ博士に「大人2人と子供3人が乗れる車、1リットルの燃料で14.5キロ以上走れるうえ、整備が容易な車、価格は1000マルク以下の車」を要求した。1934年、この車が初めて登場した時、価格は当初の目標よりも安い900マルクだった。ところが、ドイツ国民はこの車を持つことができなかった。ヒットラーは、フォルクスワーゲンの切手を発行して、900マルク分の切手を買い集めれば車を渡すと宣言した。ヒットラーはこの金を戦争の準備に充て、間もなく第2次世界大戦が勃発した。フォルクスワーゲンの工場は、軍需工場に様変わりした。この時までに生産されたフォルクスワーゲンは、630台に過ぎなかった。

◆瓦礫の中でドイツ国民は、経済復興のためフォルクスワーゲンの生産に打ち込んだ。ドイツを占領した米軍のうち、かなりの数が本国に帰国する際「値段の安さ」にほれて、フォルクスワーゲンを購入した。米国人は、この車の形から「ビートル(カブトムシ)」のニックネームを付け、以後米国市場では「ビートル」が公式名称に採択された。ビートルは、敗戦国ドイツの産業の象徴であり、ドイツ経済復興の牽引役を果たした。1947年から、事実上の大量生産が中断した1978年まで2000万台以上が生産され、歴史上最も多い売れ行きをみせた車である。

◆ビートルの成功の秘訣は、安い値段と維持費、優れた性能にある。ユニークなデザインは、コカコーラのビンとともに、20世紀のデザインの傑作に挙げられている。「シンク・スモール(Think small)」で始まったビートルの広告は「醜いのは外見だけ」や「フォルクスワーゲンにも生産ミスがあります」など、珠玉のような流行語を創り出した。このビートルが生産開始から69年目にして生産打ち切りになるという。1998年に市販されたニュービートルは、外観が同じだけで、中身は全く別の車である。我々は、その名を聞くだけで「コリア」を思い浮かべるような製品を、いつになったら持てるのだろうか。

金尚永(キム・サンヨン)論説委員 youngkim@donga.com