現在非公開となっている大学修学能力試験(修能・日本のセンター試験に当たる)の個別席次などを公開すべきだとのソウル行政裁判所の判決が出た。毎年70万人に及ぶ修能受験生の個別席次を知らないために進学大学の選択に非常に困難な反面、大学序列化防止など期待していた効果が現れずにいるという裁判所の指摘に共感する人が多いだろう。
修能席次の非公開措置は、大学入試選考方式の多様化と大学の序列化の防止という趣旨の下で02年度の入試から導入された。受験生の強い反発にかかわらず、この措置は入試競争の緩和という名分のために、ある程度説得力があったことは事実だ。だが、この措置以降、大学受験の無所信志願がさらにはびこり、受験生はどの大学を志願すべきなのか、さらなる困難な選択の岐路に立たされた。
問題はこの措置がどれほど実効性があったかということに疑問を持たざるを得ないということだ。大半の大学は依然として修能成績中心に生徒を選抜しており、大学序列化の問題も以前のままだ。それは大学序列化の問題が受験生の選好度と大学が備えている教育環境の差など多様な要因によって決定されるということを教育当局が見過ごしているからだ。今回の判決の趣旨も席次非公開がこれまで公共の利益に貢献できずにいたことを強調したものと解釈される。
まして、教育当局が個別席次を公開しなかったために、私設の入試情報機関が標本調査を通じて作った席次資料がその代わりを務めている。教育当局の意図通りに、席次資料がなくなったのではなく、不正確な情報がさらに受験生に混乱を与えているというとんでもない結果を引き起こしたのだ。大学序列化の防止という教育当局の行政目標を成し遂げるために、国民がその混乱に甘んじなければならないと意地を張っているようなものだ。これは典型的な供給者中心の行政論理だ。教育当局は裁判所の判決を謙虚に受けとめて、今年の修能から席次を公開することが望ましい。