第2次世界大戦中、米軍の進級と士気の相関関係を扱った研究でかなり興味深い内容を読んだことがある。空軍兵士の進級率が平均47%で、憲兵隊の進級率24%より高いにもかかわらず、空軍兵士が自分の進級可能性に対して憲兵より悲観的に考え不満を抱いているという事実だった。これは客観的な状況はどうであれ、人は自分を取り巻く条件がよくなるほど期待感が高まり、その期待が満たされない時、周囲の人と比べて一種の剥奪感を感じるということを意味する。まさに「相対的剥奪感(relative deprivation)」の問題だ。
◆「米国の軍人(The American Soldier)」というタイトルの本にあった上の事例は、進級希望者4人のうち1人だけが昇進して多数が脱落する場合ならむしろ不満はないかもしれないが、ほぼ半分が昇進するにもかかわらず自分だけが除外されるという事実は耐え難く、結局相対的剥奪感による不満が大きくなるしかないという普通の人の心理を反映していると思われる。このような相対的剥奪感の理論は、フランス革命に関する名著を残したトックビルが、高い発展を築いた地域で大衆の不満がより高いと指摘した、いわゆる「トックビルのパラドックス」を説明する根拠としてもよく援用されている。
◆相対的剥奪感は、客観的状況の好転を考慮しないまさに相対的な感覚であり、常に正当だと言うことはできない。韓国社会でも、年令、地域または社会的身分からみて、享受できるだけ享受したと認められる人々が、自分の過去や周辺の人々を基準に相対的剥奪感に由来する不満をむやみに表出したなら、説得力に欠けることは当然のことだ。過去の同志が敵になり、支持者が批判者に変わる政界の姿を見ても、多数の国民がこれを政治理念の差というよりも、期待と配分の乖離による相対的剥奪感の問題として解釈することも同じ論理だろう。
◆しかし広く民心を治めて国政を一次元高く導いていかなければならない立場になれば、事情は異なると考えなければならない。葛藤の治癒が政治の重要な一側面なら、相対的な剥奪感だとしても、少なくともそれが国政の足を引っ張ることはないように、時には電話したり顔も合わせて余裕を持って対処することが、国家利益と国利民福のためには避けることができない道だと多くの人々が考えていると認識すべきである。
鄭城鎮(チョン・ソンジン)客員論説委員(国民大学総長) sjchung@kookmin.ac.kr
金順徳(キム・スンドク)論説委員yuri@donga.com