盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が側近である崔導術(チェ・ドスル)前大統領総務秘書官のSK秘密資金授受疑惑を含め、これまで蓄積された国民の不信に対して再信任を問うとしたことは衝撃的だ。経緯はどうであれ、憲政史上初のことであり、大統領が政権7ヵ月目にして再信任を問わなければならない状況にまで至ったことは、国家として不幸なことだ。
盧大統領は、再信任の時期と方法を公論を通じて決定するとしたが、その過程で予想される政争と混乱が国政にいかなる影響を及ぼすか、国民は不安であり恐ろしくさえ思う。対外信任度も心配される。政情が不安になれば、外国人投資が離れる。イラク派兵問題を含む国政懸案はどうするのだろうか。ただでさえ、国民は経済難とさまざまな社会的葛藤で疲れている。
盧大統領は、自分の道徳性に対する国民の信頼がなによりも重要だと言ったが、それが国政の安定と取り引きするほど大きいかは疑問だ。側近が不正を犯したなら罰を受けさせて、大統領自身も国民に謝罪すれば済むことだ。捜査結果が出てもいないのに、「捜査結果がどうであれ、国民は私を不信に思うだろう」という理由で再信任という極端な処方を掲げることは、いかなる理由であれ理解し難い。崔前秘書官の不正以上の何かがあるのではないかという疑惑が提起されるのも、このためではないだろうか。
決定過程も釈然としない。大統領がバリ島で開かれた「東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(韓中日)」首脳会議から帰って来たのは9日夕方で、再信任を取り上げたのは翌日午前だった。バリ島にいた頃から崔前秘書官問題で悩んだというが、ひと晩で、それも大統領府の参謀たちが引き止めたにもかかわらず、このような決定をしたという。もし大統領がある「衝動」に駆られてこのような決断を下したなら、無責任である。昔の言葉で「綸言(りんげん)汗の如し」という言葉がある。国政最高責任者の言葉は身体から吹き出る汗のように決して取り消すことができないという意味だ。
盧大統領が「政治的切り札」を投じたとみる見方も少なくない。もし一部の主張通り「危機感を煽って支持勢力を結集させ、これを通じて危機局面を正面突破するためのもの」なら、受け入れることはできない。政治的危機を脱するために、国民と国政を人質に取るというのだろうか。
大統領が掲げた「再信任政局」がいかなる方向で結末を迎えるのか、国民は分からない。野党では早くも具体的な再信任手続きまで論議されているが、発言自体を撤回しなければならないという声も出ている。どの方向で結論が出ても、論争が国政安定に及ぼす否定的な影響が大きいという点が憂慮される。大統領よりも国が心配だ。