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[オピニオン]小さな鉄の女

Posted October. 13, 2003 23:19,   

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圧制と苦難からは確かに「開放」されたが、イラクの女性が安心して外出することはままならない。暴力、犯罪、略奪の無政府状態で最も傷つくのは女性だからだ。女子生徒たちは拉致、強姦が怖くて学校へ行けない。病院へ行く道が怖いため運転手を雇用して、自分の月給をそのまま渡しているという女性歯科医師もいた。性暴力を受けた後、命が助かったからといって幸いだとは言えない。結局は家族によって「名誉殺害」される可能性が大きいからだ。タリバーン政権から開放されて2年経ったアフガニスタンでも情況は同じだと、最近エムネスティ・インターナショナルが伝えた。米国がタリバーンを追い出した後、ブッシュ米大統領夫人のローラ女史が、「女性の人権なくしてはアフガンの発展もない」とした言葉は自己満足に過ぎない予言になったわけだ。女性人権のないアフガンも、イラクも混沌の中なのだから。

◆イスラム教徒初で、イラン人女性初のノーベル平和賞を受賞したシリン・エバディ女史は、「悪の枢軸」と目されたイランの、また違った面を見せてくれている。この国では大学生の63%が女性だ。労働力の30%を女性が担当し、国会議員270人のうち14人が女性だ。もちろん未だに女性が働いたり海外旅行をするには、夫や父親の許しを得なければならない。離婚したくても、女性にははるかに多くの障害物が置かれている。それでも、これだけの地位を確保できるようになったのは、弁護士や人権運動家として闘争してきたエバディ女史のような女性の活躍があったからだ。

◆テヘラン大学法科大学を卒業して1974年にイラン初の女性判事になったが、5年後のイラン革命で判事職を追われた。女性はあまりにも感情的で、イスラム法上裁判官にはなれないというのがその理由だった。エバディ女史は抵抗と暴力の代わりに、むしろこのイスラム法を闘争の道具として活用した。イスラム法に女性が劣っているという根拠はないということを明らかにし、コーランも環境変化に合わせて再解釈し、人権および民主主義を並行しなければならないと強調した。彼女は、「私も人間なため恐れるが、これを克服することを学んだ」と語った。体格も小柄で、声も優しい彼女の恐れを知らない闘争に、イランの人々は「小さな鉄の女」と呼んだ。

◆だが、エバディ女史の受賞はローマから祖国イランに至るまで少なくない衝撃を与えたようだ。もしかするとこれで最後かもしれないローマ法王ヨハネ・パウロ2世のノーベル平和賞受賞を大いに期待していた法王庁(バチカン)は失望を隠せずにいる。イラン保守強硬派は、「民主主義と改革を促す欧州の政治的な意図があるのではないか」として戦々恐々している様子だ。暴力の時代に法を通じて非暴力で立ち向かった小さな「鉄の女性」が中東を変化させている。

金順鄹(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com