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[オピニオン]教育放送のあり方

Posted October. 14, 2003 23:26,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権発足以来、テレビでよく見られる特徴の一つに、「新聞攻撃」の加熱化をあげることができる。前政権の時はMBCが最も積極的だったが、今回はKBSがその先頭に立っている。言論学者はもはや放送の伝統的な教育・娯楽機能のほかに、「新聞への批判」機能を新しく追加して、世界言論学界に報告しなければならない状況だと皮肉った。それこそ、韓国的な珍現象だからだ。先進外国のジャーナリストたちは政府の間違いを批判する新聞がなぜ放送の攻撃対象にならなければならないのか、到底理解できないという。悲しくも批判的な新聞はもはや韓国放送の「日用の糧食」になっている。

◆韓国放送のこうした「新聞バッシング」は自身の恥ずべき過去に対する劣等感の発露だという分析もある。1980年代大統領の外国歴訪や政策発表の時に、「口に合った」コメントをしてくれる人士を探すのにあくせくしていた放送記者が思い出された。大学街で放送局の車はよく石を投げられたものだった。今では放送局の局長クラスもしくは部長クラスの幹部である彼らは、自分たちが「去年の夏にしたこと」を本当に忘れたのだろうか。現在の韓国放送が次期政権ではまたどのような懺悔録を書いて、自分の過去の行いを謝罪するつもりなのだろうか。

◆最近、教育専門公営放送であるEBSまで、「メディアの正しい見方」というメディア批評番組を新設して、「新聞バッシング」の隊列に合流した。これまでEBSの格調ある教養番組と水準高いドキュメントを愛してきた視聴者を当惑させている。特定新聞に対する歪曲と非難、そして政治的な議論がある事柄に対する司会者の未熟な立場表明で通した先週の同番組の視聴率は0.2%に過ぎなかった。EBSはこれまで2度放送された同番組の名前を「メディアの偏った見方」もしくは「メディアの逆読み」と変更しなければならないようだ。

◆放送の「メディア教育」はもちろん重要だ。だが、これはどこまでもメディア製作過程やメディアの特徴に対する理解およびマスコミに対する合理的な選択と利用に焦点をあわせなければならない。まして、EBSは300億ウォンほどの公的資金援助を受けている「公営教育放送」として、未来の韓国を担っていく青少年と子供たちに健全な価値観を植えつけるという責務を持っている。その点で、EBSの「間違った選択」は自らの存立根拠に対する自己否定であり、視聴者を甘く見た傲慢さである。EBSは一日でも早く本来の位置に戻るべきだ。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com