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わんぱく天才少年が「チェロの巨匠」に… 「我が息子ヨヨーマ」

わんぱく天才少年が「チェロの巨匠」に… 「我が息子ヨヨーマ」

Posted November. 07, 2003 23:35,   

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「我が息子、ヨヨーマ」/マリーナ・マ、ジョン・ラロー著/チョン・ウォンギョン訳/280ページ/1万ウォン/東亜日報社

5日の夜、芸術の殿堂コンサートホールのステージに登場したチェリストのヨヨーマは、顔を上げ客席を見渡しながら、満面の笑みを浮かべた。「わー!」歓声とともに拍手喝采が沸き上がった。

まだ演奏を始める前にして、彼は客席を虜にしてしまった。起立拍手のなか、4曲ものアンコールを演奏したこの夜の熱気は、この時すでに予定されていたのかもしれない。

この本を執筆したラローは、ヨヨーマが13才のころからマ(馬)氏一家を見守ってきた友人であり隣人でもある、イタリア文学を専攻した教育者だ。ヨヨーの母マリーナの回想を整理し、自らの視点を加えて「チェリスト・ヨヨーマの形成過程」を、一冊の本に綴った。

中国人でパリに留学した音楽家夫婦の息子に生まれたヨヨー。幼いころから、いたずらっ子で大の強情っぱりだった。姉が先に始めていたバイオリンのレッスンを受けさせようとすると「大きい楽器にする」と言って意地を張った。後で分かったことだが、バイオリンでは姉に勝てないと思って選択した「大きな楽器」が、彼の生涯を決定付けてしまったのだ。

彼の家は、典型的な東洋の嚴父慈母型家庭だった。父ハオチウンの教え方は、時に息が詰まるほど厳しかった。彼は、ヨヨーにバッハの無伴奏チェロ組曲を一日に2小節ずつ教えた。

父がヨヨーを厳しく指導したとすれば、母は慈しみ深く彼を励ました。パブロ・カザルスの練習室を訪ねた後、マリーナは息子にでこぼこしたその部屋の床を想起させた。ピン(チェロを床に固定させるための下敷き)の痕だったのだ。「見たでしょう?簡単そうに思える音ひとつひとつが、演奏家の苦痛に満ちた努力の産物なのよ」

しかし、生まれつきのわんぱく少年だったヨヨーは、練習と遊びでいつも時間が足りなかった。今日の巨匠とて、思春期の迷いがなかったわけではない。リハーサルをさぼり、チェロを外に放っておいたまま遊びまわることもあった。ある日、児童オーケストラの最終リハーサルに出席しなかった。酒を呑んで病院に運ばれて胃の洗浄をしたというニュースは「厳格端正」な両親にとって、青天の霹靂にほかならなかった。叱る代わりに「これからは酒を絶つ」とした父の一言が、チェロの天才を直した。

1995年にヨヨーマをインタビューしたこともある訳者が、直に見た彼の素顔、演奏の特徴、推薦アルバムなどを末尾に掲載している。



劉潤鐘 gustav@donga.com