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[オピニオン]ニュータウン

Posted November. 09, 2003 23:28,   

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米南部の港湾都市ニューオリンズに行くと、「フレンチ・ディストリクト」と呼ばれる旧市街地がある。貿易港としての機能が顕著に弱まった現在、ニューオリンズはフレンチ・ディストリクトに集まってくる観光客の振り撤くお金で暮らしている。観光といっても実はこれといったものがあるわけではない。「欲望という名の列車」の作家、テネシー・ウィリアムズが暮したみすぼらしい家を見て、倉庫みたいなところで開催されるジャズ音楽会を聞き、フランス風家屋の立ち並んだ通りを散策してから、ビール屋に立ち寄って喉を潤すのが精一杯だ。カナダのケベックにも初期移住民が定着した旧市街地があるが、同じく観光スポットとして有名だ。

◆漢陽は漢江の北(漢水北)、だから今の言葉にすると江北(カンブク)の昔の地名だ。漢陽は士大夫、商人、軍属の居住地で、身分によって住む地域が違っていた。王が住んでいた昌徳宮を中心に東村、西村、北村、南村が形成されたが、朝鮮の支配勢力の西人は西村(西大門一帯)に、老論は北村(清雲洞)に、少論は東村(梨花洞、苑南洞)に、そして南人と武班は南村(南山洞、会賢洞)にそれぞれ暮していた。「アレッデ(下の台という意味)」と呼ばれた東大門(トンデムン)と乙支路(ウルチロ)一帯は主に商人の居住地だった。近代化の尖兵である商人が清渓川(チョンゲチョン)周辺に集まったのは、それなりの歴史的根拠がある。ところで、士大夫の垂涎の的であった最高の土地は景福宮・東十字閣近くの松硯洞だ(現在の韓国日報社付近)。そこに老論の勢力家だった沈象奎(シム・サンギュ)の豪華邸宅があったが、よほどに奢っていたのか王室の指弾を受けたほどだった(姜明官『朝鮮の裏通り風景』)。

◆大韓民国の古都である漢陽が、産業化の過程で昔の面影をほとんど残さぬほど歪んでしまったのは残念極まりないことである。いくつかの王宮と嘉会洞、南山周辺に残っている昔風の家屋を除けば、漢陽の面影は「開発韓国」に完全に飲み込まれてしまった。光復(日本からの独立)後、為政者が現代韓国を建設する過程で、朝鮮の遺産を貴重に思わなかったせいだ。権威主義政権を正当化しようと国家中心的考え方や位階秩序の伝統的徳目を強調したこととは非常に対照的だ。

◆江北で「ニュータウン」の建設が進められている。暴騰した江南(カンナム)のアパート価格を抑制し、江南に集中している住宅需要の分散を図るための措置だが、いわゆる「オールドタウン」地域にニュータウンを建設するというのがなぜか歴史に逆らうような気がする。ニュータウンが本来の趣旨を成就できれば良いのだが、行政首都の移転も進められているだけに、ついでに本物の「オールドタウン」を修復するのも考慮に値するはずだ。

宋虎根(ソン・ホグン)客員論説委員(ソウル大教授)hknsong@snu.ac.kr