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[オピニオン]チョン一等兵と国家儀礼

Posted November. 30, 2003 23:21,   

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韓国戦争当時、北朝鮮に捕らわれた元韓国軍捕虜のチョン・ヨンイル一等兵が、北朝鮮を逃れ韓国行きを図る過程で、偽造旅券を所持した疑いで逮捕され、中国での拘禁生活を余儀なくされている。韓国政府が介入を試みているものの、国防部が適時に彼の身元確認作業を行っていないため、チョン一等兵の救出作戦は難航している。これまで政府は、韓国戦争当時の国軍捕虜の帰還と、ベトナム戦争当時の国軍行方不明者の捜索作業に、これといった誠意を見せておらず、幾度となく世論の叱咤を受けてきた。祖国のために犠牲を払った者を政府が記憶しないとすれば、有事の際に誰が国のために身を捧げようか。

◆近代国民国家の誕生過程は、暴力的で流血の事態が繰り広げられた。国王は、勢力を広げようと頻繁に戦争を起こしており、人々は戦争に動員されるほかにも、戦費を調達するために略奪に近い租税の負担を余儀なくされた。人々は、このように暴力的な過程への強制的な参加を通じて、逆説的に一体感と帰属意識が高まり、しだいに「国民」へと形作られていった。それでも、今日の人々は、かつての暴力に対する記憶はすべて忘れ、国家を、身を捧げて守らなければならない尊い存在と認識している。フランスの社会学者ピエール・ブルデューの概念を借りれば「起源に対する集団的な記憶喪失」の現象が現れたのである。

◆この秘密の答えは、国民国家が流血的な誕生以来、持続的に行ってきた伝統の再創造と国家儀礼をつくる取り組みから見出すことができる。この取り組みから、圧制の象徴であった君主は、いつのまにか国家の象徴であると同時に求心点として変容し、暴力の象徴である軍隊も、国民の安全を守る保護者として表象されるようになった。我々が、日常生活の中で体験する国民儀礼もまた、暴力に対する記憶を忘れさせる一方で、国民的な同一性を創り出す、新たな記憶の場としての役割を果たしている。

◆米国が、中央身元確認所(CILHI)という別途の部隊を設けて、世界各地で米軍の戦争捕虜と行方不明者の捜索および遺体の収拾に乗り出していることは、周知の事実である。遺骸が発掘されれば、米国政府は盛大な儀式を準備し、星条旗に覆われた棺が運ばれると、大統領と全国民が一斉に尊敬を表す。米国政府の、このような努力と国家的な儀礼は、国民に対し「祖国は決してあなたを忘れない」という事実を想起させることで、一体感と忠誠心を鼓吹させている。国家儀礼を通じて、米国の国民は国家の暴力性を忘れ、国民的な同質性の中へとからめとられてゆくのだ。これを、必ずしも悪いとばかりは言い切れない。少なくとも、国民国家であるなら当然やるべきことであるからだ。しかし、韓国政府は、この当然の機能すら果たせないでいる。これでも、果たして国民国家と言えるのか、疑わしい限りだ。

金イルヨン(客員論説委員、成均館大学教授)iykim@skku.edu