「朝鮮時代の両班(ヤンバン、貴族階級)や裕福な家では、子どもたちの教育に注意を払っており、幼いころから先生について漢文の勉強をさせていますが、これはこの国の民族が非常に重視していることです。子どもたちは、一日中座りっぱなしで漢文の本を読みます。この、幼い少年たちが、勉学の基礎となる教材を理解し、説明するのを見ていると、実に驚きです」17世紀半ば、韓国に漂流してきたオランダ人のヘンドリク・ハーメルが「ハーメル漂流記」に残した記録だ。この記録を読んでいると、ハーメルが済州島(チェジュド)の海岸に漂着した350年前と、最近の教育の現状があまりにも似通っているという思いがする。韓国の教育熱は、解放(1945年)以降の入試競争を通じていきなり現れたのではなく、このように長い歴史的な脈絡を持っていたのだった。
◆教育が、私的な教育から始まったということは、常識とされている。西欧では、支配階層と裕福な人たちが、教師を家に招いて子どもたちを教えていた。産業社会以降、正式な学校が登場したのは、国レベルの人力の需給と訓練のために、大衆教育の必要性が生じたためだ。ところが、公教育が根づくにつれ、私教育は次第に縮小した。では、最近、各国で私教育の需要がむしろ増える理由はどこにあるのか。第一に、わが国同様、入試と関連している。「公教育の天国」といわれる米国でも、名門大学に合格するための私教育は増える傾向にある。
◆二番目の理由は、急変する「生存環境」である。社会の変化速度が速くなり、競争はいっそう激しくなっている。人々は、変化に適時に適応できない巨大な公教育に頼るよりは、自ら必要な知識と技術を習得し、自己啓発して行く方を選んでいる。その方がずっと速く効率的だからだ。韓国社会の英語ブームが、その代表的なケース。自己発展のための私教育は「入試」のための私教育と区別されなければならない。
◆教育当局が、年末をメドに強力な私教育費対策を打ち出すと公言している中、私教育費に対する議論に火花が付いた。その一つが、私教育の効果が果たしてあるかないかに関する論争である。一部の学者たちの主張どおり、私教育はさほど効果がないかもしれないし、入試を控えた父兄の不安な心理が、私教育費の支出を必要以上に増やすことも考えられる。しかし、父兄たちの不安はどこから来ているのだろうか。教育当局と公教育への信頼性が下がったためだ。政府が、これを回復しようとはせずに、私教育全体を打倒の対象として設定するのは、とんでもないところに責任転嫁するのと同じ事である。私教育対策は、私教育を頭から押さえつける「マイナス」的なアプローチではなく、韓国の並外れた教育熱を、肯定的な国のエネルギーとして活かす方向で進めなければならない。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com