太白(テべク)は、中国唐代の詩仙と呼ばれる李白の字(あざな)である。詩聖の杜甫は、李太白の詩について「筆の先の動きに雨風が驚き、詩ができ上がり、鬼神が泣く」と、激賞した。唐の文学者、韓愈は「李白と杜甫の文章は、その輝きが万丈の先まで届いた」としている。後に、神仙として仰がれる李太白だが、その現実の生は不運であった。立身出世を夢見て2度も官職に進んだものの、失敗に終わった。その詩には、功を立てた後退き、山野に埋まりたいという切望、それができないことから来る挫折感が、多く滲み出ている。
◆この頃は、誰にでも「サオジョン(45歳の定年という言葉の略称、西遊記の沙悟浄と発音が同じ)」について聞くと「多少疎い人」または「早期退職」という答えが真っ先に帰ってくる。西遊記に登場する三蔵法師の従者という答えは、なかなか帰ってこない。今後、李太白のイメージについてアンケート調査をするなら「詩人」「神仙」「月」「楊貴妃」などよりは「青年失業」という回答が多く出るかもしれない。若年層の失業率が8%を上下し、求職を諦める者が増えるにつれ「20代の大半が文無しののらくら者」を省略して「イテべク(李太白)」という言葉が流行る世の中であるから。文無しののらくら者という言葉も、肉やご飯の代わりにお香を食べて生き、宙を飛び回りながら歌うと言われる、仏教の神「乾達婆」から由来したというから、いらない想像ばかりではないはずだ。
◆青年失業を当てこすった諷刺語は、このほかにも少なくない。就職に自信をなくした大学生の休学が増えていることから「大学5回生」という言葉が「高校4年」くらい多く使われている。大企業に就職するのは「針の穴を通過する」くらい難しく、成功すれば「家門の名誉」だという。第3者は「実に造語の多い世の中」だと、笑って済ませるかもしれないけれど、当人や家族の苦痛は、ことばでは言い表せないくらい辛いものがある。あるインターネットサイトに掲載された若年失業者たちのご意見番には、次のような内容もある。「頭を剃って山に入ってみようかな。でも、山(お寺)では受け入れてもらえるだろうか」「歳も取って行くことだし、刑務所にでも入って暮らそうかとも思うのです」「どんどん人間が嫌いになっていく。いや、恐い」
◆青年失業者の中には、必ず立派な大企業に就職したいと思う人ばかりではない。年俸1500万ウォンの仕事に付けるだけでも、ありがたく思えるような人はいくらでもいる。企業に150億ウォンがあれば、青年失業者1000人を雇用して、挫折の淵から救えるのだ。ところが「車ごと」あるいは「本に見立てて」企業から政界にカネが渡される度、100億〜150億ウォンが動いたといわれる。青年たちの、数千もの職を、政治家たちが盗んでいったのだ。嫌なことは押し付けてはならないものだ。この、政治家たちが、よくも図々しく「青年たちに雇用の場を与える」と言えたものだ。
千光巌(チョン・グァンアム)論説委員iam@donga.com