国の官僚を選抜するため、考試制度を実施している国は世界的にも指に数えるほどだ。ところで考試の影響力がますます拡大している韓国は「考試王国」と呼んでも良いだろう。就職シーズンであるためなのか、卒業予備生の講義室には緊張感が漂う。新入生時代の生気はつらつとしていた表情は消え、どんな職業と人生経路を選ぶのかをめぐって悩みを深めていることが見え見えである。就職のハードルを乗り越えた学生は少しのびやかな表情だが、行き先が定まっていない学生らは苛立ちを募らせるばかりだ。
◆青年失業率が8%台に達しているからおかしなことでもない。そのためなのか、考試に挑戦する学生の数が急増した。考試フィーバーは理工系も例外ではなく、低学年から科学徒の夢をあきらめる姿は残念なだけだ。考試はもう三試だけに限らない。倍率が数百倍に上がった言論放送界は「言論考試」と呼ばれ、財閥企業も「入社考試」と呼ばれるほどになった。しかし、合格した学生は相変らず少数だ。考試のハードルの高さは昔も今も同じだ。
◆考試は朝鮮時代の官僚選抜試験の科挙の現代版だ。名の知れた両班(ヤンバン)の子息は好きでも嫌いでも科挙を受けなければならなかった。今の昌徳宮(チャンドクグン)が科挙が実施された場所で、科挙が行われる際は全国から集まった両班の子息らで漢陽(ハンヤン、今のソウル)市内が賑やかだったという。しかし合格した人は壮元(チャンウォン)、次上(チャサン)、次下(チャハ)をはじめ若干名。残りは次の機会を求めて、帰郷しなければならなかった。彼らを狙う人々も多かった。トップでの合格を証明する王の教旨と馬牌(マペ)などを偽造してくれる印刷業者が彼らだ。彼らは帰郷の通り道の往十里(ワンシプリ)と蚕室(チャムシル)に陣を張って狼狽感に陥っている両班の子息を誘ってお金を儲けた。ソウルから遠く離れている地域ほど偽造された教旨と馬牌の効力は長続きした。もちろんまもなくばれてしまい、家中がびっくり仰天しただろうが。
◆文学にも一種の考試班ができた。名づけて「新春文芸準備班」だ。1980年代中盤までも新春文芸は抑えきれないトキメキと共にやってきた。新年号に載せられた新春文芸の当選作のため大みそかの夜中と早曉まで寝そびれたりしていた。1年間磨き上げた誰かの苦悩に満ちた創作熱が活字化されたものを伝えってもらった瞬間をその時代の文学青年らは忘れられないだろう。ところが、「独りで寂しい創作」だった新春文芸がインターネット時代には考試村に移動してきたものだ。新春文芸登壇のための講座が設けられ、新春文芸準備班が専門的に稼動される。やがて新春文芸考試村ができるほどなら、韓国はあれこれ「考試王国」だ。
宋虎根(ソン・ホグン)客員論説委員(ソウル大学教授) hknsong@snu.ac.kr