盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、ついに「分裂のリーダーシップ」を見せるのか。「親盧」団体の行事「リメンバー1219」での大統領の発言は、このような疑問を抱かせる。盧大統領は「大統領選挙が終わったにもかかわらず、彼らはまだ承服していない」とし、「市民革命は終わっておらず、続くだろう」と語った。「この革命と奇蹟は、ノサモ(盧武鉉を愛する人々の集い)が成し遂げたことであり、再び立ち上がってほしい」と訴えた。
大統領府は、「政治改革に向けた意識改革運動が続かなければならない」という意味だと説明したが、発言の所々で現われた大統領の現実認識は、より深刻な憂慮を抱かせる。野党は、事前選挙運動だと非難しているが、単にそのようなレベルの問題ではない。韓国社会を見る盧大統領の認識が依然として価値論的・二分法から脱することができないためだ。
盧大統領は、「彼ら」と「我ら」を区別した。「我ら」がノサモなら「彼らは」は誰なのか。昨年の大統領選挙で自分を支持せず、大統領の表現を借りれば「特権と既得権と反則で、世の中を掌握する人々」である。一国の大統領が、国民をこのようなやり方で二分する例は見当たらない。「市民革命」という言葉も理解しがたい。市民革命というのは、近代資本主義社会に移行する過程で、市民階級が絶対王権と対立して、人権と政治的自由を獲得した革命だ。大統領とノサモが市民革命の主体なら、その対象は誰というのだろうか。
盧大統領は「彼ら」と言ったが、就任初期に80%台に達した高い支持率には、「彼ら」の支持も入っていた。亡国病の地域割拠主義も、大統領が嶺南(ヨンナム)出身であるうえ民主党候補であるため、大きく解消できると期待した。しかし当選1年経った現実はそうではない。支持率が急落し、期待が失望に変わったのが「彼ら」のためなのか、さもなければ大統領とその周辺のためなのか。
盧大統領の二分法的な認識が、韓国社会の主流を変えようという考えから出たなら危険だ。主流と非主流とは、一方が他方に取って代わるのではない。両方を統合して、国民的エネルギーに昇華させることが、国家リーダーである大統領のする仕事だ。
国民は「皆の大統領」を求める。特定集団や理念に傾かず、国民統合を優先に考える大統領を望む。憲法が大統領に国家の独立と領土保全、国家の継続性と憲法守護の義務を付与している理由を盧大統領は深く考えてほしい。