数日前にマグネチュード6.5の強い地震が米国カリフォルニア州中部の海岸を襲った。住民3人に1人である3万人余りの命が奪われたイランのバム市と同じ程度の規模だった。しかし、一部地域の停電と若干の建物破損を除いて、大きな被害はなかった。死者は3人に過ぎなかった。病院と救護センターから崩れ落ちて、都市全体が共同墓地のように変わったバム市とは大きな差があった。どうしてこんな差が出たのだろうか。
◆先進国と後進国の差と言えば簡単である。しかし、イランもそれなりの耐震建築法規を取り揃えた国だ。差があるとすれば災害に徹底して備える真面目で有能な政府を有しているかどうかの差だけだ。建築の許可を降ろすイランの公務員たちはある瞬間、自分の子供たちの頭の上に建物が崩れ落ちることもあり得るとのことを見逃してきたのだ。住宅不足で技術水準は低く、建築法を守りにくいといえども、世の中に言い訳はつきものだ。最近、国際社会の核査察要求を受け入れる前まで、イランは大量破壊兵器に拘り、国民生活の面倒を見る余裕がなかったかもしれない。
◆地震は地を搖るがすのに止まらない。政界の地殻変動までもたらすのが地震だ。いくら天災地変と言っても、どのように備えて対処するかは政府の役割だからだ。1979年のイラン革命で国王が追い出されたときにも地震が影響した。数回の地震で国が厳しい苦境にさらされたときも、孤高な国王と政府は対応に遅れて民心を失った。先に取り組んだ方は現在イラン政府を構成しているイスラム宗教集団だった。ニカラグアの独裁者アナスタシオ・ソモサ政権を追い出した原動力は72年の地震というのが定説だ。88年のアルジェリア、92年のエジプトの地震もイスラム勢力を拡大させるのに大きな役割を果たした。
◆歴史は繰り返されるのだろうか。すでに25年目を迎えるイランの権威主義的イスラム政権が矢面に立たされている。米国を含む西側の支援チームが駆けつける前まで、イラン政府は救助犬数匹を解くのに止まり、右往左往する姿を見せた。無能で無責任な政府に対する厳しい批判が出始め、イランに再度の地殻変動が訪れるのではと世界が見守る状態だ。79年に外交関係を断絶した「米帝国主義者ら」が、地震後「悪の枢軸」と規定したイランに人道的支援を行い、仲直りの兆しを見せているのが不幸の中の幸いと言える。イスラムでも米国でも苦境に瀕した国民が期待しているのはイデオロギーではなく、涙をふいてくれる具体的な解決策であることをイランの地震が悟らせてくれる。
金順鄹(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com