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[オピニオン]年始回りとサランバン政治

[オピニオン]年始回りとサランバン政治

Posted January. 04, 2004 23:07,   

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新年早々、金大中(キム・デジュン)前大統領の「年始回り政治」が話題になっている。退任後活動を控えていた金前大統領が、新年を迎えて東橋洞(トンギョドン)の自宅を開放するや、1500人を超える新年の訪問客が押し寄せたという。金前大統領は、政治不介入の原則を明らかにしたが、マスコミは「DJ式政治」、「4月総選挙へのDJ効果」などの用語を使い、金前大統領の言行に含まれる「不介入の介入」を読み取ろうとしている。

◆3金(金大中、金泳三、金鐘泌)時代までの韓国政治は、「サランバン(客間を兼ねた主人の書斎として使う部屋)政治」であったと言っても過言ではない。重要な政治決定は、毎日派閥のボスの自宅のサランバンで開かれる会合や家臣会議で行われ、党の公式機構である党役員会議はそれを追認する道具に過ぎなかった。この頃、政治家はもとより記者も、ボスの自宅のサランバンに出勤することが多かった。尹潽普(ユン・ボソン)元前大統領の安国洞(アングクトン)の韓国邸宅は、このようなサランバン政治の古典的な姿を見せる最後の舞台だったようだ。住居スタイルが洋式に変わり、3金時代には舞台が応接室に変わったが、政治の本質は変わらなかった。政治を党の公式ラインよりは、非公式な派閥や家臣に依存するという点で、「応接室政治」はサランバン政治と大差なかった。

◆政治の本質は、対話と討論による妥協の算出だ。この点で、18〜19世紀のフランスのサロンやカフェ、英国のクラブなどは、近代政治の産室といえる。そこは、単に上流階級の社交場というよりは、あらゆる人々が集まって男女と身分を越えた対話と討論を楽しむ空間だった。モンテスキューが「サロンを開いている」を「対話を主導している」と同一語と書くほど、サロンは対話の意味で使われ、まさにここでフランス革命の思想が芽生えた。

◆最近まで韓国政治の中心を成した派閥のボスのサランバンや応接室は、自由な対話と討論の場というよりは、密室決定と陰謀の原産地だったという点で、西欧のサロンやカフェとは違った。このようなサランバン政治が、年始には「年始回り政治」として現われた。年始回りは韓国の美風良俗だから咎めることではないが、それがサランバン政治と結びつけば、年始回り政治になるのである。もはや3金時代も終わった。それとともにサランバン政治も終わることを望む。

金イルヨン客員論説委員(成均館大学教授)iykim@skku.edu