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[社説]民主・ウリ党には「勇退」する人がいないのか

[社説]民主・ウリ党には「勇退」する人がいないのか

Posted January. 07, 2004 23:19,   

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ハンナラ党議員による4・15総選挙不出馬宣言が相次いでいる。時代的な要求、政治的圧迫感などが複合的に働いた選択だろうが、「政界の世代交代」という世論に応えているという点で新たな政治環境を創り出すための意味ある流れと言えよう。

しかし、民主党とヨルリン・ウリ党はこうした「勇退」の動きから一歩引き下がっているようだ。党内の若手議員を中心に世代交代論に弾みがついており、きのう全国区議員一人が不出馬宣言を行ったが、いざ「勇退」の対象に挙げられる議員らは手を拱いているか、拒否する考えを示している。全羅道(チョルラド)出身の重鎮議員らの場合、集団で対応する動きさえ見せている。

いま民主党とウリ党にはハンナラ党のように地域主義を基盤に3当選、4当選議員になって、そのおかげで党内の要職をあまねく経験した重鎮議員らがいなくない。これといった専門性や能力もないまま、金大中(キム・デジュン)前大統領の側近だったり民主化運動をしたという理由だけで特定地域の有権者の票を独占して当選し、長い年月栄華を享受してきたわけだ。

特に、「政治的与党」を自任するウリ党の場合、企業の秘密資金授受、国防汚職、賭博疑惑など各種不正疑惑に係わった議員が一人や二人でない。こうした議員らが果して新しい政治と政治改革を掲げて発足したウリ党の創党精神に見合う人物だと言えるのだろうか。

このうち、相当数は年齢や当選回数、裁判中の事案、特定地域の出身であることが世代交代の基準になるわけにはいかないとして反発している。実際、政治活動を通じて資質と能力を認められた重鎮もいる。しかし、国と国民のためにやったことが何なのか、自分の政治活動の軌跡を冷徹に振り返ってみなければならない人物もまた少なくないだろう。

今や地域主義に安住していた3金時代の「名刺政治」から抜け出て、専門性や斬新性を兼ね備えた人物が政治の主役にならなければならない。急激に変わりつつある時代の流れを読み取ってこれに対応できる洗練された選良らが国会に集まって討論し立法を行わなければならない。こうした時代の要求に追いつけない議員は思い切って既得権を捨てて、献身する気持ちで後進に道を譲ってあげるのが筋である。自ら退く時を知るのは美しい。これが分からなかったら、結局有権者の審判を免れることはできないだろう。