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[オピニオン]100年ぶりのロシア艦隊

[オピニオン]100年ぶりのロシア艦隊

Posted February. 04, 2004 23:33,   

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分断の悲劇を描いた映画の舞台として有名な仁川(インチョン)の実尾島(シルミド)から、さほど離れていない月尾島(ウォルミド)は、ロシアにとって、痛切な歴史の現場である。仁川が、まだ済物浦(ジェムルポ)と呼ばれていた1904年2月9日、ロシアと日本の艦隊がこの場所で一戦を交えた。日本が旅順港を奇襲、日露戦争の砲声が鳴り響いた翌日のことであった。18ヵ月間続いた日露戦争の勝敗を予告するかのように、ロシアは済物浦海戦で大敗を余儀なくされた。

◆ロシア艦隊は、巡洋艦バリャーグと砲艦カレーイェツなど3隻。カレーイェツは、ロシア語で韓人の意味。ロシアは「韓人」と名づけられた艦船を送り込み、韓半島掌握への意志を表したかったのだろうか。しかし、ロシア艦隊は、その5倍もの数の日本艦隊の攻撃を受け、全滅寸前の状態で済物浦港に逃れざるをえなかった。敗北を悟ったルードネフ艦長は、部下たちを下船させたのち自爆、艦隊とともに最期を遂げた。ロシアが、韓半島から永久に追われる瞬間であった。

◆当時、ロシアは「一枚下」と見くびっていた日本の野望と敏捷な動きを読み取れず、準備もないまま戦争に挑み、敗北を招いた。済物浦港のロシア艦隊は、韓半島の電信網を掌握していた日本の妨害により、本国との交信まで断たれた状態で戦闘にのぞまなければならなかった。ロシアが仁川沖の海底に沈んだ、この恥辱的な敗北の歴史を再び想起しはじめたのは、ごく最近のことだ。韓国との国交樹立を間近に控えた1989年、旧ソ連の海軍は、太平洋艦隊に配置された9000トン級のミサイル巡洋艦に、バリャーグの名を付けた。昨年は、1000トン級の対潜哨戒艦を、カレーイェツと命名した。

◆バリャーグとカレーイェツが、100年の歳月を経て、仁川に戻ってくる。3日、ウラジオストクを立った3隻のロシア艦艇は10日、仁川に到着して済物浦海戦の現場で記念式典を行う予定。韓半島周辺の諸大国間の角逐が、100年前の状況を思わせる今日この頃だ。ロシアは、当時の苦い敗北をかみしめながら、再び再燃した、北東アジアにおける主導権争いでは押されまいとする決意を固めようとしているかのようだ。いざ、100年前、第3者間の戦争に仁川沖を戦場として明け渡していた我々は、あの頃の記憶をどれだけ大切にして肝に銘じているのか、自らに問わざるをえない。

金起顯(キム・ギヒョン)モスクワ特派員 kimkihy@donga.com