太極旗がいよいよ翻った。
6日公開される映画『太極旗を翻して』は、韓国映画史上最高の純制作費(147億ウォン)、トップスターの張東健(チャン・ドンゴン)とウォン・ビンの出演、『シュリ』の姜帝圭(カン・ジェギュ)監督など、どれも気になる要素でいっぱいの作品だ。映画は、韓国戦争という敏感な素材に対する本格的な挑戦と、ハリウッド映画を連想させるスペクタクルを見せた点では高い評価を受けた。しかし、「起立拍手」を受けるには至らなかった。
▲どんな映画?
『シュリ』が南北の分断をアクションとメロドラマの背景にしているのに対し、『太極旗を翻して』は戦争に駆り出された兄弟を通じて分断の根源と傷を描いている。
映画は、50年にわたり兄を待ってきた弟チンソクの回想から始まる。1950年のソウル鍾路(チョンノ)。路上で靴磨きをする兄のチンテ(張東健)と、大学進学を控えた弟のチンソク(ウォン・ビン)。戦争が勃発して避難したチンテは、大邱(テグ)でチンソクが強制徴兵されるや、弟を守るために一緒に入隊する。同じ小隊に配置されたチンテは、弟を除隊させるためには勲章をもらわなければならないと言われる。チンテは戦闘で赫々たる戦果を収めていく。北の地に太極旗を立てる日が近づくほど、兄弟の仲は遠のくばかりだ。
▲ハリウッド水準のスペクタクル
1950年の洛東江(ナクトンガン)戦線の対峙など4回にわたる主要戦闘シーンは、これまでの韓国の戦争映画とは一線を画している。『太極旗を翻して』での戦闘は、ボタンを押せば人が死ぬようなハイテク型ではない。500万人以上の血と肉で賄われていた50年代の戦争を写実的に描いて見せた。ハンドヘルド手法を使った画面の揺れと、近距離で撮影された赤裸々な殺戮の描写、生々しいうめき声などを伝え、この戦いはゲームではなく残酷な現実であると訴える。コンピュータ・グラフィックを使って銃弾の軌跡を見せる機銃掃射などいくつかの場面が目障りな感はあるが、次から次へとなだれ込む中共軍の人海戦術と長蛇の列を作った避難シーンは圧巻だった。
▲なぜ『太極旗を翻して』なのか
姜帝圭監督は「監督って極右ですか」と周りから疑わしい目で見られても、このタイトルだけは守り抜いた。映画の中で太極旗のコードは、愛国心や親近感ではない。太極旗と映画の後半に登場する旗は、平凡な人々の小さな夢を踏みにじる象徴として存在している。
チンテもその旗から自由になれない。イデオロギー的な志向なしに、もっぱら弟を助けるという一念で銃を握った「チンテの戦争」も狂気に走る。その兄を見る弟の視線は、「いい戦争も、正義のための戦争もない」という監督の考えとつながっている。
『太極旗を翻して』は、韓国戦争の原因と責任を問う映画ではない。ただ、「これが夢ならいいな。本当に本当みたいな変な夢」と話す普通の人々の犠牲を沈黙で雄弁しているだけだ。
▲プライベート・ウォンビン
映画の弱点はあまりにも単線的なストーリーにある。韓国戦争という巨大なテーマを、兄弟という「小さな器」に盛り、ランニング・タイム148分を埋めていくには無理があったように見える。ドラマの緊張を和らげる助役のコ・ヨンマン(コン・ヒョンジン)とチンテ兄弟の母親(李ヨンラン)、年老いたチンソク(チャン・ミンホ)などの個性的な演技はあったものの、全般的に助役の比重とディテールが足りず、戦争の実体を豊かに伝えることには失敗した。映画の最後の10分が感動的であるにもかかわらず、反転と結末が作為的に感じられるのもそのためだ。「プライベート・ライアン」ではない「プライベート・ウォンビン」という苦い非難も避けられない。
この映画で張東健は、チンソクを助けながら生まれ変わっていく。後半で見せた彼の狂気とカリスマは真の俳優の誕生を知らせてくれる。15歳以上観覧可。
金甲植 dunanworld@donga.com