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釜山市長の告別式、崔代表が「友人」として弔辞

釜山市長の告別式、崔代表が「友人」として弔辞

Posted February. 08, 2004 22:58,   

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安相英(アン・サンヨン)釜山(プサン)市長の告別式が8日午前10時、釜山市庁裏の屋外広場で公務員、市民、政官界から約5000人が出席したなか行われた。

葬儀委員長の呉巨敦(オ・コドン)釜山市長権限代行は追悼の辞で、「愛する人々との離別をなぜこんなにも早めたのですか。残された1万5000人の釜山市職員があなたの偉業を引き継ぎます」と故人を追悼した。

故人と中学同窓の朴寛用(パク・グァンヨン)国会議長は弔辞で、「罪人になった心情でこの場に立った。本当に申し訳なく言葉がない」と語った。

友人代表のハンナラ党の崔秉烈(チェ・ギョンリョル)代表は弔辞で、「大統領が『一緒に行こう』と頼んだ時ついて行けばいいものを。三流政治が君を殺した。本当に首を吊らなければならないのは君ではなく、この国の権力でありこの国の政治だ」と言った。崔代表と安市長は、釜山高校10期の同窓だ。

告別式の途中で故人の肉声が録音されたテープが流れるや、一部の公務員は目を赤くさせた。告別式には、民主党の趙舜衡(チョ・スンヒョン)代表、ヨルリン・ウリ党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)議長など与野党議員約30人と、外国に出張中の李元鐘(イ・ウォンジョン)忠清北道(チュンチョンプクト)知事を除く党所属広域団体長8人が出席した。

告別式の後、葬儀行列は釜山市水営区南川洞(スヨング、ナムチョンドン)の市庁官舎の入口で20分間の路祭(出棺の時行う祭式)を行い、広安大路(クァンアンデロ)と冬栢島(トンベクソン)を通り、永楽(ヨンラク)公園に到着した。安市長の遺体は火葬され、永楽公園の納骨堂に安置され、影幀と魂帛(葬式用の絹で作った臨時の位牌)は釜山市西区西大新(ソデシン)4洞の内院精舍に安置された。

崔代表の同日の弔辞をめぐり7日、葬儀委員会側とハンナラ党釜山議員らが神経戦を繰り広げた。

葬儀委員会側は、「政治性排除」の原則を掲げ、崔代表が弔辞を朗読すれば公平性という点でウリ党の鄭議長にも機会を与えなければならないと主張したことに対し、ハンナラ党議員らが、「党所属団体長の告別式に党代表が弔辞を読んではいけないのか」と反発した。結局、崔代表は党代表ではなく友人代表として弔辞を読むことで折り合い、妥協点を見出した。

また党所属の広域自治体首長らは同日、市内のある食堂で崔代表と昼食をし、「党所属の団体長に対する与党の脅威に、強力に対応しなければならない」と党指導部の生ぬるい対応を非難した。一部の団体長は、康錦実(カン・グムシル)法務部長官の解任建議案提出まで促した。

一方、今回の事件が、釜山・慶尚南道(キョンサンナムド)の民心に与える政治的得失論議も行われた。

金鍾河(キム・ジョンハ、慶尚南道昌原甲)議員は同日の記者懇話会で、「釜山・慶尚南道では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が安市長を殺したという話が飛び交い、離党した金爀珪(キム・ヒョクキュ)前慶尚南道知事に対する『裏切り者論』も広がっている」と述べた。一方、釜山のある議員は、「安市長の自殺を政治的に見た場合、ややもすると逆風を受けることもあり得る」と述べ、慎重論を説いた。



鄭然旭  jyw11@donga.com silent@donga.com