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萬海の「君」も、煌びやかだった「権力の主」も歩いた…

萬海の「君」も、煌びやかだった「権力の主」も歩いた…

Posted February. 11, 2004 23:33,   

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真冬の内雪嶽百潭寺(ネソルアク・ペクダムサ)に登る山道。龍垈里(ヨンデリ、江原麟蹄郡)国立公園の切符売り場から百潭寺まで、左手の渓谷に沿って登っていく道(7km)の周辺は一面白く雪に覆われた。だが、時はすでに立春が過ぎた2月半ば。気温と風景は真冬だが、柔らかな暖かい日差しからは春の機運が感じられる。山の背の雪畑には、えさを捜し求めたウサギの足跡が依然あちこちに残っている。だが、日向にある岩間の氷の下には小川の流れる音が結構大きく聞こえる。冬はもう流行おくれの昔の歌のようだ。

百潭寺の渓谷は雪嶽山の主峰である大駙峰(テチョンボン)の落水を運ぶ内雪嶽の中心渓谷。大青峰を流れる水が伽ヤ洞(ケヤドン)渓谷に入って水廉洞(スリョムドン)まで流れて行き、流れついでにコムゴル、ギルゴルまで流れて百潭寺の上でフクソンドンの水と合流し、百潭寺を経て一つになった流れはここから白潭渓谷を成し、龍垈里に向かって進撃するかのように流れる。

真冬の百潭寺を訪れて上がるこの渓谷の道のトレッキング。寺よりもその寺が位置する内雪嶽の風景と龍垈里から続く百潭寺渓谷の雪景色を観賞することが主な目的だろう。それほど上がり道でもなく龍がうねっているように曲がりくねった渓谷のすばらしい景色、寺のシャトルバス以外に車の通行がないのがよい。氷と雪で覆われた冬の情趣を満遍なく見せる風景が美しい。

この渓谷にはエピソードも多い。ある両班(ヤンバン、朝鮮時代の支配階級)が風水地理のよい明堂だと喜び日当たりのいい渓谷の水際の土を掘り、土から出てきた棺を開けると鶴が飛んで行ってしまい家が傾いたというハクバウィゴル。未婚の青年の遺体を投げ捨てた渓谷で、ある坊さんが極楽往生を導く天道祭をあげると青い煙が上がったというチョンリョンダムなど。

ここは20世紀末半島で起きた悲劇物語もある。世の中の耳目を避けて2年1カ月間百潭寺に身を寄せた全斗煥(チョン・ドファン)元大統領夫妻の終わりのない「第5共和国の業」の物語だ。偶然だろうか。百潭寺渓谷の旅行記を書いた今日も全氏一家の因果が各新聞を賑わせた。

だが、こんなニュースでなくても、百潭寺では常に「全斗煥」という名が話題にされる。仏国寺では金デソン(寺を建立した人)の名が挙がるように、百潭寺では常にこの名が口にされる。ところが、百潭寺はどんなところなのか。萬海(マンヘ、韓龍雲1879〜1944)が僧になる比丘戒を受けて、朝鮮仏教の精神革命を主張した「朝鮮仏教維新論」を執筆し、詩「君の沈黙」を書き、その詩集を作った気概に満ちた萬海の思想の産室ではないか。

萬海記念館は見向きもされず、尊称が省略されたまま名前の3文字だけで呼ばれる元大統領夫妻が寝泊りしていた仏殿の前の寮舎(ファオムシル)を見物する情けない振る舞い。日当たりのいい記念館の前庭に飾られた萬海の胸像と詩碑には目も向けず、日陰の冷たい寮舎の縁側の終わりやカレンダー一つかかっているばかりの全氏夫妻の部屋を訪ねて、閉じてあるドアを性懲りもなく開けて覗いては、百潭寺を全部見たかのように満足した表情を見せる俗人たち。

寺に行くと自身の宗教とは関係なしに、仏像が祭られてある仏殿から見るのが普通だ。そうした通常の礼儀も百潭寺では見られない。仏殿に祭られた宝物木造阿彌陀佛像よりも軒の下に欠けられた全元大統領の落款が押された横軸「極樂寶殿」が大きな関心事だ。

元大統領に関わる奇妙な縁で寺の様子まで華やかに変わり、古刹の風雅は消え去り、訪れる人さえも萬海に目をそらす世俗の風塵がもくもく上がる今日の百潭寺。だが、世俗の素行が寺の境内でこれ見よがしに行われても、古刹白潭寺で精進に勤しむ信者を通じて脈々と受け継がれてきた法脈だけは消え去ることはない。ちょうど1時間半かかる内雪嶽のこの深い渓谷の道を年寄りであれ若者であれ歩いて寺を訪ねる真心は今でも続いている。それはここで修業し、雪嶽の精気を民族の精気に変えた先師の言葉と文と行動、そして萬海を通じてこの地に伝えられたお釈迦様のお言葉のおかげではないだろうか。



summer@donga.com