「空白の石板」
スティーヴン・ピンカー作/金ハンヨン訳
903ページ/4万ウォン/サイエンスブックス
子どもを持つことをためらう新婚のカップルに年配の方がよくいう言葉がある。「自分の茶碗は生まれ持ったものだから心配いらない」と。しかしこういう懐柔策よりは「子は親のやりかた次第」という周辺のアドバイスがもっとも負担なせいなのか、韓国の出産率は世界も最も低い水準だ。子どもの教育のためということで「雁(子どもと家内を留学に行かせて、一人で残ってお金を稼ぎながら暮らす父親のこと)」もいとわない親らが年配の方が言う「生まれつき」という言葉に耳を傾けるはずがない。しかし、なかなか親の思う通りにならないのが子どもの教育ではないか。いくら良い環境を整えてやっても子どもが自分の計画通りにはなかなか育ってくれないという事実、これがまさに親のジレンマだ。
放課後、3、4ヵ所の塾を回ってはじめて家に帰ってくる我々の普通の子どもたちを考えてみると、確か私たちは本性(nature)よりは養育(nurture)の方にもっと重点を置く人たちだ。「生まれ付きの」、「先天的」、「本能的」のような言葉は何だか旧時代の残滓(ざんし)のように聞こえる。
しかし、こうした通念が科学的にはどれほど説得力があるだろうか。言語学分野の碩学で卓越した進化心理学者の著者(米ハーバード大学教授)は、17世紀の哲学者ジョン・ローク以後、今日まで猛威をふるっている人間本性に関するいわゆる「白紙」理論を本格的に批判する。彼は認知神経学、行動遺伝学、進化心理学が明かした驚くべき数々の反対証拠にもかかわらず多くの有識者らが、「空白の石板(blank slate、心は生まれ付きの特性がない)」、「気高い野蛮人(人間は善良に生まれるが、社会の中で堕落する)」、「機械の中の幽霊(私たち個人は生物学的な制約なしに自由な選択ができる魂を持っている)」という3種類の独断に陥っていると診断する。
もし、「空白の石板」という本のタイトルだけ見て、「人間が白紙状態で生まれると信じている人がどこにいると騒ぐんだ」と舌打ちする読者がいるかも知れない。しかし、寛大な心で何ページでも注意深く読んで見てくだされ。白紙理論を「実質的」に信奉している人が案外多く、もしかしたら自分もそうした人の一人かもしれないという事実に気付いてビックリするだろう。著者は白紙理論が相変らず「公式理論」として通用していると言う。
この本は一般大衆書としてはめったにみられない緻密な分析と説得力の論証、そして深みのある研究で武装されている。著者のこうした腕前はピューリッツァ賞を2回も受賞した同ハーバード大学の社会生物学者エドワード・ウィルソンよりさらに洗練されているように感じられる。人間本性に対する生物学的理解が人間の価値を脅かすと信じる人々人にこの本は当分の間、最終反論書としての役割を見事に果たすだろう。